2010年11月20日放送 宮川大助さん(第1714回)
- 会場
- 相良総合センター
- 講師
- 漫才師 宮川大助
講師紹介
高校卒業後、会社員を経て芸能界入り。
1979年に妻の花子を誘って「宮川大助・花子」を結成。
花子がしゃべり、大助が相槌を打つスタイルに変更後、大ブレーク。
上方漫才の賞を多数獲得している。
第1714回「僕の人生の恩師」
私は1950年生まれ、戦後の誰もが貧しい時代で、
小学生の時はいつもお腹を空かせていました。よその家の
ミカンや柿を、黙って食べてしまうこともよくありました。
遊び道具は、小刀で竹を切って道具を作り遊んでいましたが、
ある時、子ども同士の喧嘩で、ついポケットに入っていた小刀を出してしまいました。
噂になり「どうしようもない、悪ガキだ」と有名になってしまいました。
そんな時、5年、6年の担任になったのが女性の岡田先生です。
相変わらず、悪ガキでしたので、母親は毎日のように学校に謝りに来ていました。
岡田先生は「物事をよく知っていて、考えもしっかりしている、いいお母さんね。
もっと話をしたら」と言うのです。そう言われると素敵な母親だなと思うようになりました。
勉強も全くしませんでしたが、岡田先生が突然「一緒に勉強しようか」と言いました。
授業が終わった後、私一人を残し、勉強の仕方や基礎を、
暗くなって字が見えなくなるまで教えてくれました。
6年生の時には、先生のお陰で成績は良くなっていました。
卒業式の時です。
母も出席していましたが、学校を出る時、先生たちは校門まで見送りに出ていました。
すると、突然母親が岡田先生の前で土下座をしたのです。
「手に負えない息子の面倒を本当に良く見てくれた。ありがとうございました」と。
後で聞いた話ですが、母が相談に行った時、
先生が「本当は素直ないいお子さんです。私に任せてください」と言ってくれたそうです。