2015年8月 9日放送 長倉洋海さん(第1946回)
- 会場
- 清水飯田小学校(静岡市)
- 講師
- フォト・ジャーナリスト 長倉洋海
講師紹介
1952年北海道生まれ。
通信社勤務を経てフリーの写真家となる。
以降、世界の紛争地を精力的に取材。
2011年9月から12月にかけ、福島、岩手、宮城で取材、撮影した
「だけど、くじけない―子どもたちからの元気便」(NHK出版)を出版。
第1946回「「山の学校の子どもたち~アフガニスタンでの13年~」」
私は1975年以来、アフガニスタンを訪れています。
アフガニスタンの国土は日本の1.5倍あり、
砂漠のイメージがありますが、冬には山に雪が降り、
積もった雪が解けて水が平地に運ばれ、アンズやザクロとなどの作物が出来ます。
中央アジアに位置し、昔はシルクロードの丁字路でした。
ですから、いろいろな国に侵略されてきました。
1979年、当時のソビエト連邦がアフガニスタンを侵略して以降、
戦いの歴史が続き、今もタリバンという組織が活動しています。
私が2002年に訪れたのはそのアフガンの首都カブールから120キロメートル離れた、
パンシールという小さな村の小学校でした。
そこではソ連軍とアフガンのイスラム勢力との激しい戦いがありました。
私はマスードという抵抗運動の指導者を取材していて、
以前そこには彼と一緒に訪れていましたが、彼は暗殺されてしまい、
彼の1周忌に再び訪れました。
村人たちは僕をよく覚えていてくれて、
「よく来たな」と言って、チーズやヨーグルトをご馳走してくれ、
「俺たちの学校を見てほしい」と言いました。
その学校は、ただ石を積んだだけ、柱もむき出しで、
教室にはドアも窓もありませんでした。
中に入ると、子供たちが土の上に座って授業を受けていました。
案内してくれた先生は、「今困っている。新しい政府が出来て国際支援も始まったが、
給料が来ない。このままだと先生はやめてしまう」とのことでした。
そして私に支援してくれないかと言うのです。
私は写真を撮る人間で、支援というのはどの国に行ってもやったことがなかったのですが、
子供たちが勉強できなくなるかもしれないと聞いて、自分なりに何かできないかと考え、
日本のある方から預かっていた寄付金を使い、机と椅子を贈りました。
日本に帰り、私の写真展で支えてくれる人たちに話し、NGOを立ち上げました。
翌年、正式な訪問団を作ってこの学校を訪れ、それ以来12年間訪れています。
去年行って、とてもうれしいことがありました。
当時2年生だった子供たちが大学を受験、
そのうち11人もが国立大学に合格したのです。
彼らは医者になって、あるいは先生になって
またこの村に帰って来たいと話してくれました。