2015年11月29日放送 和合亮一さん(第1962回)
- 会場
- 城北小学校(浜松市)
- 講師
- 詩人・国語教師 和合亮一
講師紹介
1968年福島県生まれ。
福島県で国語教師を務める傍ら、詩人として活躍し、
中原中也賞や晩翠賞などを受賞。
東日本大震災直後からツィッターで
連作詩「詩の礫」を発表し話題に。
合唱曲の作詩や講演、朗読活動も行っている。
第1962回「輝く言葉をさがして」
私には1人の息子がいますが、小さいころ、肩車をしていると、
上で息子が髪の毛を引っ張って、
右へ行けとか左へ行けとか指示していました。
言葉を知らないので、そんなアピールをするしかないのです。
その後、言葉を覚えると、「あれとって」「こっちに来て」など、
親に言うだけでその通りにしてもらえる。
言葉の獲得は子どもにとって
魔法のじゅうたんを手に入れたような感覚だと言います。
郡山市に「青い窓」という、
児童詩集を毎月発行しているグループがあります。
お菓子屋さんにおいてあり、
買い物に来たお客さんに読んでもらおうというのが狙いです。
その本にこんな詩を見つけました。
『お母さんは電話とか、
お客さんが来ると声が変身するようにすぐきれいな声に変わります。
なんでわたしとかお兄さんと話すときは
お客さんみたいにきれいな声にならないのかな。
私もお母さんのきれいな声とお話したいなあ』(題:お母さんの声)
次の女の子の詩は少し重たいです。
『学校帰り、家の前で立ち止まって台所の窓をのぞく。
台所の電気は、赤、赤、赤。ぷーんといい匂いがする。
お母さんの作っている夕飯の匂い。
トントントン、お母さんの作っているご馳走の音。
でもそれは一昔前。今は台所に電気なんてついてない。
甘い匂いなんて忘れてしまった。
もちろんご馳走を作る音なんて聞こえはしない。
お母さんは美容師。夜遅くまで仕事をしている。
前まではお母さんが作った料理を食べていたけど、今は出前。
お母さんが私から離れていく。私から遠ざかっていく』
(題;お母さんが遠ざかっていく)
2つとも、何げない、ありふれた言葉の中に
いろんなドラマが隠されていると感じます。
子どもさんのつぶやきの中に、
深く感じている何かが見えてくるのかもしれません。
子どもさんと一緒に詩を書いていますが、
特に難しいことはしていません。
詩の中にいいところを発見したら「それ、いいね」と言い、
面白いところに線を引くだけ。
すると子どもはああそうなのかと思い、また新たな作品に向かっていく。
家庭でも同じで、
日常の会話の中で普段気が付かないような言葉があったら、
「それ面白ね」とか、「それ、いいね」と言えるか言えないかではないでしょうか。
そこに大きな分かれ道があるように感じます。
言葉のキャッチボールをする中で家族同士の歯車が合った時、
子どものこころを育てることにつながるのではないかと。
言葉は恐ろしいもので、人を守るものでも傷つけるものでもあります。
傷つける言葉はきちんと教えてあげないといけませんが、
そこがわからない場合、叱るのでなく、その言葉は傷ついたよとか、
がっかりしたよとかを大人が言ってあげることが大事だと思います。