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過去の放送

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2015年12月 6日放送 平野啓一郎さん(第1963回)

会場
焼津文化会館小ホール(焼津市)
講師
小説家 平野啓一郎

講師紹介

1975年生まれ。北九州市出身。
1999年、京都大学在学中に「日蝕」で芥川賞を受賞。
2016年刊行の「マチネの終わりに」は
20万部を超えるロングセラーとなり、映画化も決定。

番組で紹介した本

「空白を満たしなさい」 著者:平野啓一郎(講談社)

ポイント第1963回「自己否定への対処法」

中学校の先生方からなどから、

今の子どもは自己肯定が出来ないとか、

自信が持てないとか、

そういう子が多いというお話を聞きます。

僕にも心当たりがあります。

中学の頃、教室で皆が楽しそうに話しているのに、

そのことに心から同調していない自分がいて、

満たされないもの感じていました。

その頃、本を読むことに夢中になり、

その感動が大きすぎて、

反対に学校にいるときの満たされない思いを抱えていました。

夜、本を読んでいるときの自分が本当の自分で、

学校にいるときの自分は皆に調子を合わせて

仮面をかぶっているのだと考えました。

そんな時代が10代の長い間続き、

当時そんなことを感じているのは僕だけだと持っていたら、

後にほかの多くの人たちも周りに合わせていたのだと知りました。

ここに社会というものの根本的な矛盾があるわけで、

僕たちは個性が大事で、個性的に生きたいと思ってはいますが、

一方でどこへ行っても「俺は俺」みたいにはいかないことも知っていて、

個性も大事だが協調性も大事なわけですし、

ばらばらの個性が一緒に生きていくためには、

何らかの一般様式と言うか、

マナーなのか空気なのかわかりませんが、

そういうものにしたがって生きる必要も皆感じているのです。

僕は、友達としゃべっている自分と

家で親としゃべっている自分とでは口調も違う。

つまり違う自分になって、相手の顔色を伺いながら

いつも演じ分けている。

本当の自分がどこにもいないような気がしていました。

また、社会全体も、いくつもの人格が

一人の人間の中にあることに対して否定的に語ることが多く、

表裏のある人間だとか、八方美人だとか言われます。

そういう人間は信用できないと。

コミュニケーションの中でどうしてもそうならざるを得ないのに、

人間にはたった1つの個性しか

認められないかのようなメッセージが発せられるのです。

このことで僕は非常に悩んでいました。

コミュニケーションの中で

表面的に違う自分になっているというのは

"嘘の自分"なのだろうかと言う疑問がわいてきました。

自分は演技しているだけなんだろうか?

人間関係を一切断ち切って

1人で引きこもっているときだけが本当の自分なのだと言うのか?

この問題を考えるうえで重要だったのは、

個人(英語でINDIVIDUAL)と言う言葉でした。

「これ以上分けられない」という意味ですが、

私は英語のINを取って、

DIVIDUAL「分人」という言葉を思いつきました。

人にはたくさんの顔があっていくつにも分けられる。

そしてそのすべてが自分なのだという考え方です。

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