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過去の放送

過去の放送

2016年2月 7日放送 相田一人さん(第1971回)

会場
豊田南小学校(磐田市)
講師
相田みつを美術館館長 相田一人

講師紹介

1955年栃木県生まれ。相田みつをの長男。1996年から相田みつを美術館の館長を務める。全国各地での講演活動や執筆活動などを行う。2024年、相田みつを生誕100年を迎えた。

番組で紹介した本

肩書きのない人生 著者;相田みつを 編集:相田一人 (文化出版局)

ポイント第1971回「肩書きのない人生」

父相田みつをは自分で詩を作ってそれを自分で書く、

音楽でいえばシンガーソングライターのような人でした。

そのことは父の生き方に密接に関係しています。

父がこんなことを書いています。

『書家などと紹介されて或時は平然としていることもある』

これは逆に言えば平然としていないこともあったわけで、

書家と言う言葉に違和感を抱いていたのかも知れません。

書家と呼ばれるほど、自分には技術もないし恥ずかしいと思う一方、

いわゆる書家とは違うという思いもあったのでしょうか。

昭和29年に足利市で初の展覧会を開き、

その後も展覧会を開いては作品を売ることを唯一の仕事としていました。

書道教室などを開いて弟子をとろうと思えばとれたと思います。

教員の免許も持っていましたので、学校の先生になって

その傍らで書を書くことも勧められましたが、

父は、うんとは言いませんでした。

自分は怠け者だから、安定収入があると、

必ず甘えてそれが書に出てくるというのが理由でした。

『かねが人生のすべてではないが

有れば便利

無いと不便です

便利のほうがいいなあ』

これはその頃に書いたものです。

理想と現実を表しています。

こんなものは売れるわけもありません。

父の作品は言葉が単純ですが、中身は複眼的です。

『ともかく

具体的に動いてごらん

具体的に動けば

具体的な答が出るから』

この作品は、一見読者を突っぱねているようですが、

心にすとんと落ち、「癒された」「慰められた」という人がいます。

筆一本で生きるために

父はお菓子屋さんを回って自ら営業活動をしました。

その仕事、第一号が地元のお菓子屋さんの

包装紙のデザインとしおりです。

そのしおりには

『ひとつのことでも

なかなか思うようにはならぬものです

だからわたしはひとつのことを

一生けんめいやっているのです

香雲堂 主人』

と書かれています。

字を見れば父の作品だとわかるはずですが、

このしおりの言葉を、50数年たった今でも、

そのお菓子屋さんのご主人が書いたものだと勘違いしている人がいます。

父が包装紙としおりを採用してくれた香雲堂の先代のご主人に会ったとき、

先代はそれまで使っていた包装紙を父に見せて、

「これよりいいものを作る自信はあるの?」と聞いたそうです。

それに対して父は「自信はありませんがうぬぼれはあります」と答え、

それが気に入られ、採用されたのでした。

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