テレしず ホーム > テレビ寺子屋 > 「みつを」が生まれるまで

テレビ寺子屋毎週日曜日 午前6時30分~

トップへ戻る

公開録画会場 随時募集中!

全国の放送予定はこちら

  • お知らせ
  • 寺子屋の歩み
  • 次回の寺子屋
  • 講師紹介
  • 過去の放送
  • 会場募集
  • ご意見・ご感想

過去の放送

過去の放送

2016年2月21日放送 相田一人さん(第1973回)

会場
豊田南小学校(磐田市)
講師
相田みつを美術館館長 相田一人

講師紹介

1955年栃木県生まれ。相田みつをの長男。
東京国際フォーラムにある「相田みつを美術館」館長。
現在、美術館業務の傍ら、
全国各地での講演活動や執筆活動を行っている。


ポイント第1973回「「みつを」が生まれるまで」

「つまづいたっていいじゃないか 

にんげんだもの」

この作品の左下に「みつを」の文字が入っています。

東京国際フォーラムにある相田みつを美術館に

小学2年生の団体が来てくれた時、

先生がこの作品を生徒に読ませたところ、

1人の女の子が、

詩のあとに続けて「みつを」の部分まで音読してくれました。

もう1人の子は「みつを、み」と読みました。

最後の「み」は落款という印です。

この落款を含めた全体が書なのですが、

父はこの「みつを」と落款をどこに書き、

どこに押すかをいつも悩んでいました。

とてもデリケートに神経を使い、ミリ単位で考えていました。

「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」

この詩の後にも「みつを」と落款がありますが、

位置は微妙に違います。

生前父は、「自分の幸せは自分で決めるのが当たり前だが、

でもそうしているかと言うとそうでもなく、

お金がないとか社会的な地位がどうだとか、

子どもの成績がお隣さんよりいいとか悪いとか、

そんなことを比べることでしか幸せを感じていない。

世間に幸せを決めてもらっているのではないか」と言っていました。

「自分もそういうことが多いけれど、

ここ一番の大事な選択をするときには、

自分の心が決めるのがいい」と話していました。

父が30代前半から生涯にわたって書き続けていたのは

「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」と言う作品です。

これは「しあわせは...」の詩と表裏一体になっていると思います。

1点ごとに独立しているようですが、

2つが1対になっている作品もあると息子としては感じます。

「みつを」ですが、父は17歳ぐらいから

先生について書を勉強していました。

その頃の書には本名の「相田光男」が書かれていました。

その後、23歳で鄭道昭という南北朝の書家の模写をして、

日本の書道界にデビューしたときには、「蛾亭(がてい)」という、

先生からいただいた雅号を使っていました。

父は終戦の年に21歳で、その後本格的に仕事を始めましたが、

世の中が大きく変わり、書道の時間が無くなり、

漢字も使えなくなったことで、

これからはかなの時代が来ると思ったそうです。

でも理由はそれだけではなく、「蛾亭」や「光男」では、

父の作風に合わないし、自分に問いかけるような作品が多い中で、

裃を着たような名前ではなく、ひらがなにすることで、

ありのままの自分を表したかったのではないかと考えています。

ページの先頭へ

ページの先頭へ