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過去の放送

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2017年12月 3日放送 鈴木光司さん(第2059回)

会場
常葉大学(静岡市)
講師
作家 鈴木光司

講師紹介

1957年静岡県生まれ。
慶応義塾大学文学部仏文科卒業。
1990年『楽園』が日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。
『リング』のシリーズが計800万部のベストセラーとなる。
2013年『エッジ』でシャーリー・ジャクスン賞長編賞受賞。

番組で紹介した本

「エッジ(上・下)」 著:鈴木光司(角川文庫)

ポイント第2059回「人類にとっての善とは」

今回のテーマを考えるきっかけとなったのは、長女が高校生の頃に

大好きなドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいた時だったと思います。

その物語は、主人公のラスコーリニコフという青年が勝手に善悪の基準を作り、

強欲な金貸しのおばあさんを殺害して

奪った金を恵まれない人たちにばらまくというものです。

そしてその行為は「善である」という答えを出すのですが、

一方でおばあさんと一緒にいた妹まで殺害してしまい罪の意識に苛まれます。

その小説を読んだ長女は、私に「善悪の基準とは何なのか?」と尋ねてきました。

この様に疑問を持つというのが小説を読む利点です。

私は長女に「一緒に考えてみよう。」と言いました。

人類にとって果たして善悪の基準はあるのでしょうか。

「そんな事は千差万別だろう。」と言う人もいます。

国や地域、宗教、人種によって変わってくるからです。

これは文化相対主義といいます。

私はこのような「あなたはあなた、私は私。好きにすればいいよね。」

という状況は良くないと思っています。

突き詰めて考えれば「人類にとって共通の善」という基準があると思うのです。

人類共通の「善」の基準を突き止めるため、私は科学的な方法で考えてみました。

私は大学の授業で学生にテーマを与えて文章を書かせることがよくあります。

ある時、こんなテーマで書かせました。

「夜空を見上げると無数の星がある。

宇宙にも我々と同じ生命体がいるか、いないか?」。

大体の学生は「いる。」と答えます。

そこでもう一つ質問しました。

「仮に宇宙の彼方に我々よりはるかに優れた知的生命体がいるとしよう。

その知的生命体は我々地球をどう見ているか?」。

これも大体の学生が「無数の生命体がいると見られている。」と答えます。

無数の生命体がいるというのは事実ですが、私は知的生命体から地球を見ると

無数の生命体がアメーバのように動いているように見えるのではないかと考えました。

地球上の無数の命は、一つの大きな生命体としてみなされているという推論です。

次に、この大きな一つの生命体の中で

人類が決定的に他の生命体と違う点は何かと考えると、

それは「言語」だと思うのです。

「言語」を持つことが人類にとって特別な点なのであれば、

善悪の基準も「言語」が鍵になりそうです。

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