2018年9月 2日放送 山田パンダさん(第2095回)
- 会場
- 雄踏文化センター(浜松市)
- 講師
- ミュージシャン・子どもサポーター 山田パンダ
講師紹介
1945年生まれ。福岡県出身。
1971年南こうせつ、伊勢正三と「かぐや姫」結成。
解散後はソロで活動。現在は全国での講演や東京都内の
小学校で非常勤講師として道徳の授業も行っている。
番組で紹介した本
「きらきらら基金」チャリティCD せいいっぱい 歌:山田パンダ(myonmyonRecords)第2095回「子どもたちのきらきらした毎日を応援する」
私は47歳の時「もう一度、小さい子どもたちと遊びたい!」と突然思うようになりました。
それは我が子の子育てが楽しかったからだと思います。
特に2~4歳頃の子どもは言葉を覚えはじめ、
自分になついてくるのが可愛くて仕方ありません。
私は子育て中もコンサート活動をしていました。
音楽活動で家を空けることが多かったのですが、
ツアーから帰ると子どもが寝ている私のお腹の上に乗ってきて「一緒に遊ぼう!」と言います。
家で遊ぶより外で遊ばせた方が楽しいと思い
近所の子どもたち7~8人を一緒に連れてよく公園に行きました。
最初は安全のため公園の入り口に立って
子どもたちが道路に飛び出さないように見張り番をしていました。
そして子どもたちだけで自由に遊ばせていたのですが、
そのうち公園から外に出ないよう安全確認ができると一緒に缶蹴りやかくれんぼをしました。
それが楽しくてたまらなかった。何年も一緒に遊びました。
その時の思い出が、急に47才の時、蘇ってきたのです。
「もう一度、純粋で元気な子どもたちと遊びたい。
大人になった我が子とではなく、保育園や幼稚園に通っている幼い子どもたちと。」
そう思っている時、たまたま散歩していたら区の広報板が目に飛び込んできました。
そこには「保育士のアシスタント募集」と書かれていました。
もう一度子どもたちと遊べるチャンスだと思い、私はすぐに区の保育課へ行きました。
保育士になるには国家試験もあり大変ですが、
子どもと接するアシスタントは健康診断を受けて問題なければ採用されるとの事でした。
運よく私は採用されました。そして保育園に行くようになりました。
園には若い保育士が多く、おじさんは私一人だけでした。
子どもたちには珍しい存在だったようで、たちまち私は人気者になりました。
望んでいた通り多くの子どもたちと楽しい時間を過ごせました。
半年間、保育園に勤め、その体験から本も出しました。
すると様々な方から「その経験を活かして子どもたちのために活動しませんか?」と声がかかりました。
ミュージシャンという本業以外に「子どもサポーター」という顔も持つ私の活動についてお話ししたいと思います。