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過去の放送

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2011年4月30日放送 相田一人さん(第1735回)

会場
三島市生涯学習センター
講師
相田みつを美術館館長 相田一人

講師紹介

1955年栃木県生まれ。相田みつをの長男。
東京国際フォーラムにある「相田みつを美術館」館長。
現在、美術館業務の傍ら、
全国各地での講演活動や執筆活動を行っている。


ポイント第1735回「憂い」

私の父、相田みつをには「憂い」という作品があります。
父は書家、詩人として、多くの作品を残しました。
私はこの作品は父の代表作の一つだと思っています。

相田みつをというと、平仮名が多く、
お子さんでも分かるやさしい言葉が多いのが特徴です。
しかし、「憂い」は漢字が多く、
難しい言葉も使われており、異色だといわれます。
しかし、父が一番伝えたい事を書き残した作品だと
私は考えています。

「憂い」と言う言葉は、悲しみとは少し違い、
一種の気分のようなものだと思います。
現代では、死語になったとまでは言いませんが、
あまり聞く事もありません。
でも人間が生きていくうえで「憂い」が無いかと言うと、
そうではないと思います。
今、日本は「憂い」というものに関心を寄せる
余裕が無い時代なのではないでしょうか。

「憂い」の一節を紹介します。
 『憂いがないのではありません
 悲しみがないのではありません
 語らない だけなんです
 語れないほど ふかい憂いだからです
 語れないほど 重い悲しみだからです』

人間の悲しみや憂いは、人に聞いてもらって
気持ちが晴れる事もありますが、
とても話す気にならない、憂いもあると言っています。

しかし、「憂い」の最後は
 『澄んだ眼の底にある
 ふかい憂いのわかる人間になろう
 重いかなしみの見える眼を持とう』
と結んでいます。父の願いだと思います。

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