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2011年9月 3日放送 バイマーヤンジンさん(第1753回)

会場
大須賀中央公民館(掛川市)
講師
チベット声楽家 バイマーヤンジン

講師紹介

チベット・アムド地方出身。
名前はチベット語で「蓮の花にのった音楽の神様」の意味。
中国国立四川音楽大学卒業。
1994年来日後、全国でコンサートや講演を行い、
チベットの学校建設にも力を注いでいる。


ポイント第1753回「私はなぜ学ぶのか」

標高の4000mのチベットでは、農作物もなく、昔から、放牧で生活してきました。
義務教育もなく、9歳ごろから放牧の手伝いをするので、
学校へ行く子どもは少なく、字が読めるのは半分以下です。

しかし、私の8人兄弟は、放牧の手伝いで学校へ行けなかった長男を除いて、
あとの7人が学校に通いました。
母がその訳を話してくれました。
ある時、母親が町に出かけてトイレに入ろうとしたところ、
「男・女」の字が読めず、男性用に入ってしまって大恥をかいたことや、
知人から書類にハンコをつかされ、気が付いたら土地をだまし取られたこともあった。
だから、子どもにはこんなみじめな思いをさせたくないと決意したと言うのです。
そして両親は私を高校にまで通わせてくれました。

苦労をかけた両親と学校に行けなかった長男のため、私は必死に勉強しました。
夜、氷点下25度の公衆トイレの中で、電球のあかりを頼りに本を読みふけりました。
その甲斐あって大学に合格すると、
故郷の村の人々は「偉いさんになった」と喜んでくれました。
でも、大学ではチベット人ということでいじめにあいました。
こんなことなら放牧の方がましだと思いましたが、
そのたびに父母や兄や故郷の人々の顔が浮かびました。
卒業後、長年の夢であった大学の教師に合格しましたが、
今の夫と出会い、来日しました。 
                  
再び、ゼロからの出発でした。
電車の中で1日10個の単語を覚え、清掃の仕事やハンバーガーショップで働きながら、
必死に日本語を勉強するうちに、いろいろな人に出会い、
このように日本語でお話ができるようになりました。
少しずつ貯めたお金でチベットに学校を作ることも出来ました。

学ぶとは、視野を広げ、生きる希望を与えてくれるものです。
チベットの子どもたちには、
「辛い時も、頑張って勉強すれば100%幸せになれる」と話しています。

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