2016年6月19日放送 にしゃんたさん(第1989回)
会場 | 雄踏文化センター(浜松市) |
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講師 | 羽衣国際大学教授・タレント にしゃんた |
講師紹介 | 1969年スリランカの世界遺産・キャンディ市生まれ。 |
会場 | 雄踏文化センター(浜松市) |
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講師 | 羽衣国際大学教授・タレント にしゃんた |
講師紹介 | 1969年スリランカの世界遺産・キャンディ市生まれ。 |
スリランカに帰ると必ず日本の話題になり、盛り上がることがよくあります。
その時に必ず出てくるキーワードは"ジャヤワルダナ"です。
日本ではあまり知られていないのですが、
実は彼こそが、世界一の親日家と言われている人物なのです。
太平洋戦争が終わって、日本がGHQの占領下にあった1951年、
サンフランシスコ講和会議が開かれました。
会議には52か国が参加、その年の9月4日から8日まで5日間の日程でした。
そこでの議題は戦時下の被害に対する補償問題と
日本を国際社会にどういう形で復帰させるかでした。
復帰は時期尚早という意見もあり、
また日本を4つに分けて、ロシア、アメリカ、イギリス、中国が
それぞれ日本を支配下におくという意見もあり、なかなかまとまりませんでした。
そして会議も中盤にさしかかった6日の朝11時、
壇上に立ったのがスリランカのジャヤワルダナさんでした。
彼は「私は2つの立場からお話します。
1つはスリランカを代表して、もう1つはアジアを代表しての立場です」と言い、
最も印象的な言葉として、
釈迦の「憎悪は憎悪によってではなく慈愛によってのみ止む」を
引用して会場に語りかけました。
「戦時中、スリランカは日本によって空爆を受け多大な損害を受けている、
補償を受ける権利はあるが、私たちは賠償請求を放棄する。
なぜかと言うと、私たちはブッダによって目には目、歯には歯という教育を受けていない。
私たちは許す。他の国々もそうしませんか?」と呼びかけたのです。
さらに、日本には何ら制限を加えるべきではない、
なぜならアジアの皆がそれを求めていて、
それが今後のアジア全体にとってふさわしいことだからと訴えました。
15分にわたる演説が終わると大きな拍手が沸き起こり、
会場の雰囲気が変わりました。
出席していた当時の吉田茂首相もその場で涙を流したと言われています。
翌日の日本の新聞は「ジャヤワルダナは兄弟愛を訴えた」と報じ、
アメリカのタイム誌は「会議においてもっとも有能なアジアの代表者は
ジャヤワルダナであった」と絶賛しました。
この時彼は44歳、スリランカの大蔵大臣でした。
その後72歳で初代大統領になり83歳まで勤めました。
90歳で亡くなるとき、自分の角膜を1つはスリランカ人に、
もう1つを大好きな日本人にと言い残し、実現されました。