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最初に赴任したのは人口350人くらいの町でした。
子どもは50人、複式学級の学校でした。初めて学校に行くと、教頭先生が
「この学校では勉強を教えなくてもよろしい。 子どもと遊びなさい」
と言うのです。何をして遊ぶかというと、学校の田んぼで田植え、草取り、稲刈りをしていました。
収穫したものはカレーライスにして食べていました。
農業の第一歩を学校の授業のなかでやっていたのです。
作ったほうれん草を売ったこともあります。
郵便局の人に来てもらい、自分たちのお金を自分たちでチェックして貯金をしたこともあります。
遊びながらそういう学習をしていました。
その後、受験校に行きました。
でもそういうところにいる頭のいい子には誰が教えても一緒なんですよね。
先生は関係ないんです。
同窓会で当時の生徒に会いましたが、どんな勉強をしたか覚えていないというのです。
ただ、心臓病の友達とのエピソードはよく覚えている、と。
その心臓病の子どもは手術が必要でした。
当時は鮮血を用意しないと手術できなかったのです。
そこで、子どもたちは献血運動を始めました。新聞記者にも記事を書いてもらいました。
全部子どもたちが考え、手配したのです。
それから「あのねちょう」教育の時代に入りました。
「せんせいあのね」と作文を書くのです。
教育の一番大事なことは何かをよく考えるのですが、それについて子どもが書いた文があるのでちょっとご紹介します。
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