近所でもお年寄りが多い家ということで有名だったんです。後で、大人になって気付いたのですが、私は江戸時代の人と付き合っていたんですね。曽祖父と曾祖母は江戸時代の生まれ、祖父と祖母は明治の始めの生まれ、父は明治の終わりで母は大正の生まれ、非常に家族の多い中で育ちました。
私が子供の頃、昭和10年代から20年代までは、東京の子供は誰でも、大人からの教えの言葉として自然に身につく言葉がありました。それが「人間の背負い水」という言葉だったんです。
「人間の背負い水」ってどういうことかというと、人が生まれたときに、自分の一生の間に使う分の水を背負って生まれてくる、ということなんだそうです。目には見えないけど、それぞれみなさん背負っている。この背負っている水を使い続けて人は生き、そして背負い水がなくなったときが、その人の命の終わりになる。背負い水が無くなってしまうと水一杯も飲めない境遇に陥ってしまう、だから水は大切に使うんだよという意味だそうです。そして「水」と言っておきながらも、水だけではなくお米でもお金でも着るものでもお菓子でも何でもそうなんです。人は生まれたときに、自分の分というものを持って生まれてきている、分というものを大切にして生きていくんだよ、っていうことなんです。
この「背負い水」という言葉は、私が中学に入ったあとも、全ての子に通じました。ところが今は全然、この平成の世の中になって誰にも伝わらない言葉になっていました。日本中どこにも「背負い水」という言葉が残っていないことに気付いたんです。今はもう途絶えてしまった言葉、でも私は小さいときにその言葉を聞いて育ってよかった、なにごとも無駄にしない、粗末にしないように生きてきてよかったと思っています。
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