以前、東京都中野区の教育委員をやったことがありますが、私が教育委員をやめた直後に、鹿川君という中学生が、自ら命を絶ってしまったという事件がありました。それが、いじめのことをみんなで考えるようになった、きっかけの事件だったような気がします。最近、様々な事件が起こるたびに、私はいつも彼のことを思い出します。あれから何十年も、私は生きていることの意味ってなんだろうと、ずっと考えています。
そして、そのことについて答えがようやくわかり始めてきたのは、もう自分の命が残りわずか、というタイミングになってからなんです。11年前に乳ガンであると宣告されて、そのときなって「命」というものに本気で向き合いました。
ガンという病気を宣告されると、例えば「来年」という言葉が、喉まで出かかっても口にできなくなります。友達と「来年また会いましょう」とか「それは来年にしましょう」とか言えないんです。来年、生きているだろうかと、まずそれを考えてしまうからです。至近距離で「命」を考えるのと、遠くの方から、いつかは死ぬんだろうと考えるのでは、「命」の見え方が違ってくると思います。
そのとき、好きになった言葉があります。「一日一生」という言葉です。私なりの解釈ですが、一日一日をまるで一生であるかのように豊かに生きよう、一日を一生のような気持ちで生きていこう、ということだと思います。この言葉を知って、随分、救われたような気がします。おかげさまで、その後11年、再発せずに生きてきましたが、いつかみなさんが、とても重い病気にかかったり、人生の重大な場面にさしかかったときに、この言葉を思い出してください。
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