陸上・飯塚翔太 選手の強さの秘密は競争心と練習好き 新たな目標はロス五輪 史上初の5大会連続へ

2024年09月08日(日)

芸能・スポーツ

陸上男子200mで五輪4大会連続出場の飯塚翔太選手

パリ五輪の陸上200mに出場した飯塚翔太 選手が、自身のレースを振り返るとともに競技場や選手村の様子を話してくれた。高校時代の全国制覇から33歳の現在まで第一線で活躍を続ける強さの秘密は“絶やさぬ競争心”と“練習好き”だ。次の目標は37歳で迎える2028年のロス五輪。出場すれば5大会連続は史上初となる。

短距離・個人種目では史上初…4大会連続で五輪出場 陸上200m・飯塚翔太の強さの秘密はウナギと“荒い”走り

「力は出しきったが及ばなかった」

テレビ静岡の番組に出演する飯塚選手(2024年8月)

2024年8月29日、飯塚翔太 選手(33)がテレビ静岡の番組に生出演した。

まずはパリでのレースを振り返る。

4大会連続の大舞台、そして自身初のキャプテンとしてパリオリンピックに臨んだ飯塚翔太 選手。

主戦場の200mは予選で敗れ、初の準決勝進出を目指し、今大会から導入された敗者復活戦に挑んだ。

スタートからスピードに乗りきれず、4番手で直線に入る。得意の後半は伸びのある走りで追い上げたが、あと一歩伸びが足りずに4着でフィニッシュ。目標の準決勝進出は叶わなかった。

飯塚翔太 選手

試合後の飯塚翔太 選手は「今回結果を残したかったけど…。毎回スタートラインに立つたびにありがたさと、結果を残したい気持ちがどんどん上がってきて、本当に良い経験ができた」と感謝の言葉を口にした。

飯塚翔太 選手:
4回も五輪に出させていただいて、回を重ねるごとに1回の重みを感じるようになってきたので、(試合後のインタビューでは)感謝の気持ちを話した。今回も力は出しきったが及ばなかった

パリは陸上が大好きな人が多い

飯塚選手は一番外側の9レーンが好き

4大会連続で出場している飯塚選手は、パリではロンドン・リオ・東京とは違う体験をしたという。

飯塚選手:
(五輪では)あまりないことだが、パリは午前中から会場が満員で、メリハリがあってスタート前は観客が静かだか、スタートの合図とともにみな立ち上がって。陸上が大好きな人が多くてそれは印象に残った。走る方は幸せだと感じた

ところで200mは走路にカーブがあるが、飯塚選手は内側・真ん中・外側のうちどのレーンが好きなのか聞いてみた。

飯塚選手:
僕は一番外側の9レーンが好き。長身選手にありがちなのだが、(一番外は)遠心力が少ないので曲がりやすい。歩幅が大きいと(外側以外は)曲がりにくいこともある。タイム自体も1レーンよりも外側のレーンの方がよいタイムがでるという統計もある。五輪のシードレーンは6~8レーンで、それだけ外が有利だと思う

五輪4大会連続 初の主将

五輪4大会 連続出場した陸上選手

五輪4大会連続出場がどれだけすごいことか改めて説明する。

陸上競技で五輪4大会連続出場できたのは、現スポーツ庁長官でアテネ五輪金メダリストのハンマー投げの室伏広治さんと、北京五輪の4×100mリレーで銀メダルの短距離の朝原宣治さんだけだ。

飯塚選手はここに肩を並べていて、もうレジェンドと言って良い存在だろう。

ただ、飯塚選手は「ここに加えてもらえるのはありがたいが、もっと増やしたいという気持ちもある」と、まだまだ意欲的だ。

パリに出発する陸上選手団(2024年7月)

パリ五輪では初めて陸上選手団のキャプテンも務めた。

飯塚選手:
もともと自分が一番年上で(従来も)自然にそうなったが、今回は行く前に正式にキャプテンに指名された。現地で何かするというわけでもないが、「みんなの支えになるような助言ができたら」という思いで(パリに)行った。若い選手からは試合の流れについて「いつもこんな感じですか」など相談を受けた

長く続けるモチベーションは?

飯塚選手の陸上キャリア

ここで飯塚翔太 選手の陸上キャリアを改めて振り返る。

飯塚選手は静岡県御前崎市出身で、小学3年生の時に陸上をはじめた。

藤枝明誠高校時代に短距離種目でインターハイや国体で優勝し、中央大学に進学。オリンピックはロンドン・リオ・東京・パリの4大会に連続出場し、リオでは4×100mリレーで銀メダルを獲得している。

高校時代の飯塚選手

長い間、第一線で活躍を続けるモチベーションは何だろうか。

飯塚選手:
当時はここまでやれるとは思っていなかった。目の前のことをやっていた結果、こうなった。(Q.心が折れそうになったことは?)ケガが多かったり結果がでなかったりしたことはあるが、そのたびにうまく這い上がってこられた。モチベーションを保ったリ、自分が這い上がれるような環境を自分で作ったり、日々高めあって競争したり、競争心を絶やさないでやっていたりなど、心掛けてやっている。

陸上勢躍進の理由は?

パリに出発する陸上選手団(2024年7月)

日本代表が躍進を見せたパリ五輪だが、陸上でも印象的なシーンは多かった。

特にやり投げの北口榛花 選手の金メダルが印象に残る。飯塚選手は会場で応援していたそうだ。

飯塚選手:
会場で応援していたが(やりの)上がり方がすごかった。北口選手は体が柔らかくて、柔軟性を使って投げる時に体をそって、これがスキル的にはパワーの源らしい

100mではサニブラウン選手が準決勝で敗退したものの9秒96の好タイムを出した。
日本の陸上勢が躍進した理由は何だろうか。

飯塚選手:
北口選手もそうだがグローバルに動いている。国際試合が多かったり、拠点を移したり。

世界を感じながら生活しているのが大きいと思う。外に出て行く選手が増えた。僕が代表になりはじめの頃は(海外に)試合に行くのも珍しかったが、今は普通になってきた

柔道・橋本壮市選手と仲良し

解団式で柔道・橋本選手と(提供:飯塚氏)

飯塚選手が刺激を受けているのが静岡県浜松市出身の、柔道・橋本壮市 選手だ。解団式で一緒に撮った写真を見せてくれた。

飯塚選手:
同じ年で1991年生まれの「91会」を開いていて、焼き肉などよく一緒に食事に行く。
(Q.どんな話を?)競技のことはしゃべらなくて、覚えてないくらいくだらない話、仲いい友達とのたわいもない会話です

試合前は鏡の前でユニフォームチェック

視聴者の質問に答える飯塚選手

視聴者からも質問が寄せられた。

「試合前にいつも行うルーティーンは?」との質問には、飯塚選手は「ルーティーンはユニフォームを着て鏡の前でチェックする程度。僕の周りの短距離選手でも少ない」と答えていた。

また勝負飯はウナギで、日本で試合がある時は2~3日前にウナギを食べそうだ。今回のパリ五輪では日本を出発する前に食べたという。

パリ五輪では選手村の食事が不評だったと一部のネットニュースで話題になったが、飯塚選手は「普通でした。前回の東京五輪がおいしかったので、それと比較するとアレだけど、ロンドンやリオと比べると普通。チキンをかたいという人もいたが、僕にとってはお腹をこわさなくていいので安心感があった」と、特に不満はなかったという。

37歳で5回目の五輪出場めざし

飯塚選手「練習が好き」

さらに視聴者から次の目標と将来的なビジョンについての質問が寄せられると、飯塚選手は「まずは2025年に東京で行われる世界選手権にむけて準備する。2028年にはロス五輪があるので、できるところまで限界を極めて走り続ける」と話した。

飯塚選手は2028年ロス五輪の時は37歳になるが、飯塚選手は「朝原さんがその位でメダルをとっていたので、それを見て(私も目標にしたい)。今 年齢もだいぶ上がってきて、特にマラソンは30代後半でメダルをとる選手がいて、短距離でもそういう傾向があるので、自分次第かなと思っている」と、新たな目標に意欲を見せる。

飯塚選手は帰国後1週間ほど休んでから練習を始めたそうだ。「練習が好きで、練習をすると気分がよくなる。体を動かしているのが好きで、休みを7日間もらっても5日間で終わってしまう」と話す。

レジェンドを抜いて5大会連続なるか

今後の試合予定は2024年9月末に実業団対抗戦に出場し、10月には国体に静岡県選手団として出場する。国体には高校1年から10回以上出ている

飯塚翔太 選手:
2025年の東京での世界選手権で活躍する姿を見せるために練習をしっかり頑張るのと、陸上では初となる5回目の五輪出場を達成してメダルをとれるように頑張りたい

高校時代に全国を制覇してから第一線で活躍を続ける飯塚翔太 選手。新たな目標に向かってまた走り始めた。

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