東日本大震災から9年 復興計画・医療体制―静岡がすべき備えは

2020年04月03日(金)

地域暮らし・生活

東日本大震災から9年。
県内からもこれまで多くのボランティアや専門家が復興支援で被災地を訪れていて、自治体によってはいまも職員の派遣が続けられています。
被災地での活動を通し見えた、「静岡県の課題」とは。

◆まちの復興計画立案を担当

静岡市でまちづくりを担当している畑剛由(はたつなよし)さん。
2016年から1年間、自ら志願し岩手県山田町(やまだまち)に派遣されました。

静岡市都市計画課・畑剛由さん 「静岡市も南海トラフ地震の影響が懸念され、災害の際にしっかり動けるような経験をしたくて希望しました」

津波による、死者行方不明者が800人を超えた山田町。
全壊した家屋は町内の4割ほどに上りました。
震災で更地となったまち。
畑さんは、まちの再生に必要なスーパー、広場、図書館などをどこに再配置していくか、計画の立案を任されました。
災害が起きた後、0からの計画づくりです。

畑さん 「まちの方々は精神的にショックを受けていることもあって(住民に)説明をするところに一番時間を要しました」

◆静岡市の復興“指針”は14年前のもの

県内での死者が最大10万人を超えるとされる南海トラフの巨大地震。
静岡市での死者は1万5000人。
建物は9万棟が全壊すると想定されています。

一方、静岡市が被災した場合の復興基本計画策定の行動指針は14年前のもの。
被害状況の把握は、職員が1件1件足を運び確認することになっています。

畑さん 「山田町では、航空写真のデータやGIS(地理情報システム)の提供によって大まかな被害状況がわかる仕組みができていた。災害直後は歩いて回るのも大変なほどの被害があり、スピーディーにスムーズに方針が策定できる」

被災地で事前準備の大切さを学び、現在は災害が発生した際の復興基本計画の改訂作業を行っています。

畑さん 「災害が起こってからだと、混乱してしまってなかなか計画や方針を決めていくのが難しいような状態になるとを感じました。事前準備という取り組みを進めていくことが重要だと感じています」

◆「内臓疾患が多かった」東日本大震災

伊豆の国市の順天堂静岡病院に勤める柳川洋一(やながわ よういち)教授。
東日本大震災の発生から約1週間後に、DMAT・災害派遣医療チームの一員として被災地に入りました。

当時防衛医科大学校の教官を務めていた柳川教授が派遣されたのは、DMATの本部が置かれていた福島県庁。
福島第一原発の事故を受け、周辺の病院に入院していた約800人の患者を、県外に安全に避難させる業務の調整などを行いました。

自衛官としてルワンダ難民の救援や阪神淡路大震災の支援活動にも携わった柳川教授も、東日本大震災の特殊性を感じたといいます。

柳川教授 「例えば薬が全部流されたので薬がなくなって、病院に行っても薬がもらえないということが起きると、心筋梗塞になったり避難所生活が寒い時期だったので肺炎になるなど内科的な疾患のほうが多かったのが東日本の時の一つの特徴だと思います」

災害医療が整備されるきっかけになったのは阪神淡路大震災。
建物の倒壊などで外傷を負った患者への治療が主でした。

しかし東日本大震災では避難生活の長期化による、内臓疾患の治療など長期的な医療支援が必要でした。

◆医療体制「まだまだ足りないところが」

予想される南海トラフ巨大地震で大津波や原発など、東日本大震災と共通のリスクを持つ静岡県。
DMATの養成もおこなう柳川教授は、医療体制が整っていない課題を指摘します。

柳川教授「まだまだ医師や看護師、医療施設が充実しているかというと足りないところがある。平時の医療からそういった問題がある中で大規模災害という負荷がかかったら、うまくやれますかと言われたら相当厳しいものがあるというのが率直なところだと思います」

現在、県内でDMATに登録されている医師や看護師は合わせて411人。
県外からDMATを受け入れる訓練や2016年からは県内限定で活動できるDMATの養成も始まっています。
1人でも多くの命を救う最前線となる医療現場でも、東日本大震災の教訓を生かす取り組みが行われています。

東日本大震災から9年。
被災地での活動を胸に、防災や減災への努力が続けられています。

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