始まりは“オーバーオール” 創業100年・老舗縫製メーカーの新たな挑戦

2021年02月16日(火)

地域

静岡県清水町には、創業100年を迎える縫製メーカーがあります。

アメリカから持ち帰ったジーンズが始まりというこのメーカーが、ものづくりへの思いを継承するため新たな挑戦を始めました。

沼津市に去年11月にオープンしたスーツサロン「FILATURA(フィラトゥーラ)」。

イタリア語で「紡いだ糸」を意味します。

この場所に託されたのは100年続く企業の「記憶の継承」です。

清水町の縫製メーカー・山本被服。

従業員は70人。

主に企業向けのユニフォームや作業着を手掛け、中国にも工場を持ちます。

山本被服・山本豪彦社長 「衣服というのは、身に付ける人間の”衣食住”の中の大事なひとつの要素ですので。普段身に付ける衣服を大事に作って、大事に売っていきたい」

山本被服の歴史は今から100年前にさかのぼります。

初代社長の彦太郎さんと妻・ゑきさんが出稼ぎでアメリカに渡ったのが始まりでした。

炭鉱夫から始まり最終的にはホテルの支配人になった彦太郎さんは、帰国後に事業を起こすことを考えました。

山本豪彦社長 「何か(技術を)持って帰りたいということで、当時カウボーイが着ていたカバーオール(オーバーオール)胸当ての作業服、これに目をつけまして」

1923年、彦太郎さんはロサンゼルスに「スター・オーバーオール・カンパニー」を設立。

生地の仕入れ方法や裁断・縫製などの技術を夫婦で身に付け、3年後の1926年日本に帰国します。

そして「山本被服製造所」を立ち上げたのが、スーツサロンのある場所でした。

当初はオーバーオールを東北や北海道の酪農家向けに販売。

その後は子供服や学生服、そして戦時中には軍服を手掛けるなど時代の変化を乗り越えてきました。

山本豪彦社長 「時代の変化をとらえて、変われるものが生き残るということを前々から思っているものですから。作業服だけではなく今度はスーツにも挑戦しようということでですね」

スーツサロン「FILATURA(フィラトゥーラ)」は完全予約制のオーダーメイド専門店。

ベストやワイシャツも仕立てます。

取り揃える生地は約600種類。

サイズはもちろんのこと、デザインの好みにも応じて、納得の一着を提供します。

100年目に向けた新たな挑戦。

しかし、変わらないものもあります。

山本豪彦社長 「本当に働き者のばあさんだったんですね」

ショーウインドウに飾られているのは、初代社長夫人・ゑきさんが愛用していた手回し式のミシンです。

山本豪彦社長 「亡くなる前日まで、隣にあった工場から端切れを集めてきましてね、残反ですね、生地の残り。パッチワークを縫い合わせて大きい生地にしましてね」

ゑきさんの『無駄を出さない』精神は現在も受け継がれています。

山本被服パタンナー・高岡真理さん「なるべく生地の余白が詰まるように、無駄がないように」

山本被服の高岡真理さん。

この道20年。

デザインを基に型紙をおこす「パタンナー」です。

山本被服パタンナー・高岡真理さん 「ゼロから作り出して最後に商品として完成した時に、自分の思っていた通りに出来上がるとすごくうれしく感じます」

彦太郎さんの新しい挑戦をする精神も受け継がれています。

1960年頃に生産を終えたオーバーオール。

当時の物は残っていませんでしたが、写真などの資料を基に今回復刻しました。

復刻を提案したのは、商品開発とは畑違いの営業担当・富所(とみどころ)さんです。

山本被服 営業・富所勢さん 「思い切って違うことを上司に提案して、色々やっていくのがすごく楽しいと思います。これからもっと良いものを作れるようにしていきたいと思っています」

山本被服のものづくりへの思いは社外にも広がっています。

平成建設設計課・和知祐樹さん 「山本被服さんの設立のきっかけとなったジーンズというものを、何とかここに形として表現できたらいいなと」

スーツサロンを手がけた建設会社が挑戦したのは「ジーンズの壁」。

店舗を囲むコンクリートの壁にジーンズのような風合いを持たせます。

型枠にジーンズ生地を張り付けて、コンクリートを流し込みます。

3度の試作を経て、ようやく風合いを出すことに成功しました。

平成建設設計課・和知祐樹さん 「いざこうして出来上がってみて、ここにしかないものという形で、ものづくりの原点みたいなところを立ち返る良いきっかけに
なったかなと思っています」

「生地がね、あそこの生地」 

「ああ、この生地」

この日、スーツサロンを訪れたのはサッカーJ3アスルクラロ沼津の伊東輝悦選手。

山本被服のスーツを愛用しています。

アスルクラロ沼津・伊東輝悦選手 「スーツを着ると身が引き締まるというか、そんな感じがしますね。去年とはまた違う感じで、着るのが楽しみだなと思います」

人々の装いを支え続けて、まもなく100年。

山本被服・山本豪彦社長 「身に付けるものは時代が変わっても、その精神は変わらないものだと思っておりますので。ひとつの製品を幅広く扱えるように地道に努力をしていきたいと思っております」

アメリカから持ち帰った技術とものづくりへの思いが、ここ沼津の地で息づいています。

◆山本被服◆

日本でジーンズが広まったのは戦後の闇市からと言われていて、山本被服の設立はその20年ほど前。

ずいぶん早くからオーバーオールを日本に持ち込んでいたことになります。

山本彦太郎ゑき夫妻ですが、本当にすごいご夫婦です。

現在の社長の曾祖父・曾祖母にあたる2人がアメリカに渡ったのが明治の終わり。

今から110年ほど前です。

彦太郎さんは炭鉱夫、ゑきさんは洗濯婦として働き始めたそうですから、そのころから作業服としてオーバーオールに触れていたのかもしれません。

そして彦太郎さんはホテルの支配人、会社設立と努力を重ね、帰国してからはまだ珍しかったオーバーオールの製造にとりかかりました。

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