
2025年3月30日放送
- 会場
- テレビ静岡(静岡市)
- 講師
- 在宅ホスピス医 内藤いづみ
プロフィール
1956年山梨県生まれ。福島県立医大卒業。
1995年甲府市にふじ内科クリニックを開業。
命に寄り添う在宅ホスピスケアを30年以上にわたって実践し、
自宅での看取りを支えている。
第 2425 回
自分らしく生き抜く
私は山梨県で30年以上「在宅ホスピス医」として活動しています。
ある日、娘夫婦と同居している98歳の女性が外来に来ました。膝が悪く少し歩くのは大変そうでしたが、娘さんが栄養を考えた食事を作り、自分は朝からラジオ体操をして、規則正しく暮らしていました。娘さんは一生懸命お母さんを見ていて、離れて暮らしたことがありませんでした。
私たちは、まずその方たちの「課題は何かな?」と考えます。すると、人生の最終章を考えたとき、母と娘が自立して旅立てるような助けが必要だと思いました。お母さんが亡くなったら、お母さん大好きな娘さんの半分以上が取られてしまう。その後はとっても大変な人生になるかもしれません。娘さんは「私は家で看取れません。怖くて悲しくて、その時は入院させると思います」と言っていました。
そのお母さんが100歳になったときに乳がんが見つかりました。悪性度の高いがんだったため、専門医が手術や抗がん剤治療を提案してきました。「このがんは大きくなる。破裂するかも」と言うんです。怖いですよね。母と娘は迷った末に積極的な治療はしないという決断をしました。
お母さんがホスピスケアの患者になったのに、娘さんはちゃんと介護しています。「大丈夫そうだな」と、私たちはひっそり見守っていました。娘さんはユニークな方で、がんにあだ名を付け、「朝、お母さんとラジオ体操して、がんを撫でて、『しずかちゃん、お母さんがあっちに行くまで静かにして』って言うんですよ」と教えてくれました。
お母さんはしずかちゃんと共に暮らし、痛みが出たら痛み止めを少しずつ飲んだりしながら、お家で過ごすようになりました。「先生、もう怖くないよ。ただね、私が逝ってもね、娘とは仲良くしてあげてね」って頼まれました。お母さんって偉大ですね。
しばらくすると、「昨日、父ちゃんとお母ちゃんが来た」「いとこも幼馴染も来た」とお母さんが言い出しました。あの世の人が夢にでてくるお迎え現象です。そして、「今日は大きな集まりになるから、来た人みんなに赤飯を持たせたい」と娘さんは言われたそうです。「先生、もう死ぬんでしょうか?」と心配しながらも、赤飯を作りました。「お母ちゃん作ったよ」と言うと、もうだんだん危篤になっているお母さんが目を開けて「ありがとう、よかった」って。娘さんは、「先生、あっちへ行くっていうのは一種のお祭りですね。お母さんも怖くないって言ってるし、私ももう怖くなくなった」と言いました。
そして、静かに息を引き取りました。娘さんは、「先生がもう危篤だって言ったんで、『お母ちゃんいってらっしゃい』って言えました」って。「さよならなんて絶対言えない」って言っていた人が「いってらっしゃい」って言えたんです。見事な看取りでした。その後も打ちひしがれることなく、「お母さんを立派に向こうに送り出した」という誇らしい気持ちで今をお過ごしです。本当にお役に立ててよかったなと思います。
死亡診断書をもらうときに、「人生の卒業証書」って考えただけで、誇らしい気持ちが家族にわき上がるように感じています。