2026年5月17日放送
- 会場
- 菊川文化会館アエル(菊川市)
- 講師
- 登山家 野口健
プロフィール
1973年アメリカ生まれ。1999年エベレスト登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。近年は、ヒマラヤや富士山の清掃活動に加え、被災地支援などの社会貢献活動を行っている。
第 2482 回
父と娘のヒマラヤ挑戦
娘の絵子(えこ)が9歳の時、冬の八ヶ岳に連れて行きました。その日は吹雪いていて、気温は氷点下17度。山頂まで行くのは無理だと判断し、樹林帯を抜けた山小屋で「今日はここまで」と言うと、娘はびっくりして「どうして?」と聞きます。「『無理』には、していい無理と、してはいけない無理がある。何かを成し遂げる為には最大限無理をしなきゃいけない時もあるけれど、してはいけない無理をすると山では命に関わる。だから下りるんだ」と僕は伝えました。
初めての冬山登山は過酷なものでしたが、娘は「また山に登りたい」と言うので、一緒にいろいろな山に登り、トレーニングを続けました。
そして彼女が15歳の時、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロに挑戦。山頂までわずかというところで急な吹雪になりましたが、なんとか登頂しました。下山してホッとしていると、娘が「悪天候の中で5800mに登れたんだから、もっとトレーニングしたら6000m行けるよね?」と言います。
そこから数年、さらなるトレーニングを積み、絵子が18歳の時にヒマラヤのアイランドピークという6100mを超える山に登頂しました。無事に下山すると、娘が僕のことを「お父さんではなくて、『戦友』になった」と言うのです。「山に登るとき、お父さんは私を守るけど、私もお父さんのことを守ってる。お互い命を支え合っているから、戦友だと感じる」と続けました。確かに、山に登っているときは1本のロープで繋がっている運命共同体です。それを「戦友」という表現をするのも頷けます。
2025年5月には6476mのメラピーク登頂に成功。さらに同じ年、「9月にロブチェピーク(6119m)に行きたい」と娘は言いましたが、「雨季で雪崩が起きやすい時期だからやめた方がいい」と私は伝えました。すると、「だったら一人で行く」と言います。「一緒に行くシェルパの命を背負う自覚はあるのか」。私がそう言うと娘は黙っていましたが、意志は変わりません。私は覚悟を決めて一緒に行くことにしました。
実際に登ると、視界がなく腰まで雪に埋まる、雪崩の起きやすい危険な状況でしたが、経験豊かなシェルパの支えもあり、通常の5倍もの時間をかけなんとか登頂しました。そこで娘は「自分のわがままでみんなを巻き込んで危険にさらしている。経験が増えたことで自分の思いを優先して、状況が見えなくなっていた。登頂できたけれど成功ではない。本当に申し訳ない」と言って私とシェルパに謝りました。僕は彼女の言葉に内心ホッとしました。
親として、子どもに多くの経験をさせてあげたい。ただ、していい無理と、してはいけない無理がある。そのギリギリの状況をどう経験させるか、というのは私の1つのテーマです。絵子は私のことを「戦友」と言いましたが、私にとって絵子は「山での唯一のパートナー」です。これからも一緒に登り続けていきたいと思っています。