2026年6月21日放送

会場
テレビ静岡(静岡市)
講師
歌手 加藤登紀子

プロフィール

1965年、東京大学在学中に
第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。
「知床旅情」はレコード大賞歌唱賞を受賞。
現在も国内外のコンサートで観客を魅了し続けている。

第 2487 回
「ま・さ・か」の出会い

私の人生には「ま・さ・か」の出会いが数多くありますが、その中でも一番の「ま・さ・か」は夫との出会いです。
 
1968年3月に私は東京大学を卒業しました。当時は、世界中で学生運動が起こり、東大でも卒業式が中止になったのです。すでにプロの歌手になって3年目を迎えた私のところに、学生運動のリーダーが会いに来ました。これが後に夫となる藤本敏夫です。「学生の集会に来て歌ってください」と彼にお願いされましたが、「プロの歌手を政治的な場所で利用するのはよくない」と私は断りました。すると彼は「その通りですね」とあっさり帰って行ったのです。
 
もう会うことはないだろうと思っていたら、数日後、彼から「2人だけで会おう」と電話がかかってきました。食事をして、政治や学生運動ではない、別のことを語り合いました。そして別れ際、空の下で藤本が歌ってくれたのが「知床旅情」でした。
 
知床の岬に はまなすの咲くころ
思い出しておくれ 俺たちの事を
 
遥か昔のことを愛おしむようなその歌に、私は「歌でこんなにもすごいことが伝わるのか」と驚き、涙を流しました。それが私と「知床旅情」との出会いです。
 
彼がどこでこの歌を知り、どんな思いで歌ったのか詳しくは分かりませんでした。ところが、彼がこの世を去って24年目の2025年、「ま・さ・か」の出会いが待っていたのです。
 
歌手活動60周年のコンサートで岡山へ行った時、番組収録のため長島愛生園というハンセン病の隔離施設だった場所を訪れました。そこにいたひとりの男性が、私に会うなりこう言いました。
 
「登紀子さん、この話だけはあなたに伝えなくちゃと思っていたんだよ。昔ね、同志社大学の学生が来て、ハンセン病の人が自由に泊まれる家を建てようと言ってくれて、この愛生園からも奈良へみんなで行って、学生たちと一緒にブロックを積んでひとつずつ自分たちの手で作ったんだ。あんなに素晴らしいことはなかった、あんなに嬉しいことはなかったよ。そしてその時、一日の最後に必ずみんなで肩を組んで歌ったのが『知床旅情』だったんだ。」
 
私は驚きで震えそうになりました。藤本が同志社大学1年生の時、彼が所属するゼミの教授とともに奈良にハンセン病の人が自由に泊まれる「交流(むすび)の家」を建てたことは聞いていました。こうして私は、あの日彼が歌った「知床旅情」のルーツと、そこに込められた想いを知ったのです。

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