2026年8月2日放送
- 会場
- さくら台幼稚園(富士市)
- 講師
- いのちをバトンタッチする会代表 鈴木中人
プロフィール
1957年生まれ。1992年長女の小児がん発病を機に、小児がんの支援活動や「いのちの授業」等に取り組む。「いのちのバトンタッチ」をテーマに、いのちの輝き、家族の絆、生きる喜びなどを全国に発信している。
第 2493 回
いのちのバトンタッチ
私は愛知県で生まれ育ち、地元の会社に就職して社内結婚をしました。妻・淳子との間に長女が誕生し、景子と名付けました。その後、弟の康平も生まれ、どこにでもいる普通の家族として暮らしていました。
景子が3歳の夏。元気がなく、遊んでいてもすぐに座り込んでしまいます。病院に行くと「小児がんかもしれない」と告げられました。私はそれが現実だと思えず、何も感じることができませんでした。
入院前夜、私たちは景子に「お腹に悪い虫さんがいるから明日から入院だよ。でも、お父さんとお母さんがいつも一緒だから大丈夫」と伝えました。すると景子は「康ちゃんは?」と、弟のことを心配するのです。それまで家族が一緒にいることは当たり前だと思っていましたが、その当たり前がどんなに素晴らしいことか、初めてわかりました。
大学病院に入院し、手術をして抗がん剤治療が始まりました。ある日、「わたし、天国にいっちゃうの?」と景子が言いました。3歳の子どもですが、本能でわかるのです。痛みに耐え、治療が終わると「わたし、がんばったから」と言って涙をポロポロ流しました。
2年間の治療の末、「保育園へ行っていいよ」と医師から言われました。保育園では笑顔いっぱいで過ごしました。先生やお友達が普通の子どもとして接してくれたからです。そのおかげで景子は「私はみんなと同じ。病気は治る」と前向きに過ごすことができました。
治療終了後の検査では異常なしと言われ、普通の生活に戻れると信じていました。しかし最後の脳の検査で再発が判明します。病気は骨へ転移し、「余命数ヶ月」と告げられました。
4月、小学生になりました。景子は「お勉強がんばらなくちゃね!」と、笑顔いっぱいで言います。でも、入学式の前の晩、妻はランドセルの横で「こんな悲しい入学式はない」そう言って涙を流しました。ランドセル、服、シューズ、鉛筆、ノート、全部ピカピカ。でも、景子の体は病気に犯されている。入学式は子どもにも家族にも明日への希望がいっぱいある。でも、景子にはその明日がありません。どうしようもないことでした。
やがてベッドから動けなくなっても、景子は前向きな気持ちを忘れません。「宿題があるから起こして」と言い、何十分もかけてひらがなを書きました。「先生が『ちゃんと宿題やろうね』って言ってたよ。それにお勉強しないと次に学校行った時に困るでしょ」って。景子は、できることを一生懸命やる、今を生き抜いている子どもでした。
病気がさらに進み、景子は6歳で天国へ旅立ちました。葬儀では白いドレスを着せて、かつらとリボンを付けてブーケを持たせ、大好きだったお嫁さんの姿で送り出しました。
景子は私たちに大切なことを教えてくれました。1つは、どんなに短くても一生懸命生き抜いたら命は輝くこと。その輝きは死んでもなくならないのです。もう1つは「ありがとう」の大切さです。景子はつらい時も涙する時も、いつも「ありがとう」と言っていました。「ありがとう」をいっぱい伝えていれば、その分きっと幸せになれます。私は10年経って、やっとそう思えるようになりました。これからも、景子が生き抜いた小さな命の輝きが、誰かの心に受け継がれていくことを願っています。