
2024年4月21日放送
- 会場
- 雄踏文化センター(浜松市)
- 講師
- 相田みつを美術館元館長 相田一人
プロフィール
1955年栃木県生まれ。相田みつをの長男。1996年から相田みつを美術館の館長を務めた。全国各地での講演活動や執筆活動などを行う。2024年、相田みつを生誕100年を迎えた。
第 2378 回
人生の的
父・相田みつをが晩年に残した『人生の的』という書があります。
『ふたつあったらまようよ ひとつならまよいようがない 人生の的はひとつがいい』
父は、67年の生涯の中で多くの作品を残しました。その作品には「出逢い」や「自分」などくり返し出てくる言葉がある一方で、一回も出てこない言葉があります。「目的」や「目標」です。代わりに使ったのが、この「的」という言葉です。
なぜ「目的」とか「目標」を使わなかったのかと考えますと、父の青春時代の戦争体験が背景にあるような気がします。目的とか目標という言葉は、「頑張れ」とか「頑張ろう」という言葉と結びつきやすいですよね。戦争中の日本は勝たなくちゃいけない、頑張らないといけないということで、いろんな標語や掛け声が飛び交っていたと思います。父はそういうものに強制的なニュアンスを感じて反発心があり、「的」という言葉しか使わなかったのではないかと考えています。
『人生の的』という作品の最後は、『人生の的はひとつがいい』と、言い切っています。父がこういう断定的な言い方をする時は、全部自分に向けて書いている時です。
父は旧制中学時代、熱中したものがいろいろありました。ひとつは「短歌」です。そして「絵」、絵心があり、状況が許すならば絵画の道に進みたかったようです。あともうひとつが「書」、その頃から自分なりに本格的に書を学んでいました。その他にもいろいろ熱中するものがあり、なかなか的がしぼり切れませんでした。でも、最終的には「書家・詩人」という独特な道を歩んだ、的をしぼりました。その父が晩年に人生を振り返り、「ふたつあったら迷っちゃう、人生の的はやっぱりひとつじゃないとダメなんだ」と自分自身に言い聞かせているわけです。この作品はそんなに知られていませんが、意外と重要な作品なのではないかと思います。
では、具体的に目指していた「父の人生の的」は一体何だったのか。ズバリこれだったのではないかという作品があります。相田みつをと言うと、ひらがな中心でどの言葉も優しく、誰でも読める文字なのですが、これは漢詩ではないかと思うぐらいちょっと異色の作品です。
『一生燃焼 一生感動 一生不悟』
父は、わかりにくい言葉かもしれないので、後ろから読んだ方が意味は取りやすいと言っていました。「一生不悟」というのは一生悟らずという意味だと思います。一生何かに感動し、一生自分の命を燃焼していければ、悟れなくたって自分はいいんだ。つまり「生涯円熟なんかしなくたっていい」、その代わりに「常に見た人に感動と自分の命の燃焼を伝えられるような、そういうものを書き続けていきたい」という思いが父の中にはあったのではないかと、息子の私は考えています。