セッシャー1 35市町江戸静岡説

【大湯】【熱海御殿】

江戸幕府初代将軍徳川家康公は、
熱海の湯(温泉)にぞっこんだったことを
示す資料には事欠かないのじゃ。

実際、熱海市の温泉に1週間も逗留していた記録もある。
思いを引き継いだ3代将軍家光公も、
熱海の温泉を好み「熱海御殿」
(今の「御殿稲荷」)を造営させたそうじゃ。

歴代の将軍たちが愛した場所なんだから、
ここは江戸そのものでしょう! 江戸静岡説。

【浜松ウナギ】

江戸っ子の大好きだった「うなぎ」じゃが、
養殖で盛んな浜松うなぎを皆、食していたそうじゃ。

運んでいく道中、湧水の綺麗な三島で
休ませていたので、うなぎは三島でも
有名になったそうじゃ。

これは浜松も三島も江戸だったということじゃな、
江戸静岡説。

【秋葉神社】・【浜松町】

1869(明治2)年の大火を機会に、
東京府(今の東京都)が火除けの地として
遠州 (今の静岡県西部)を設置し、
火除けの秋葉原大権現を鎮火神社に祀ったんじゃ。

鎮火神社が秋葉神社と改められると、
神社の周りを「あきはばら」と呼ぶようになった。
これが、現在の「秋葉原」の由来と言われている。

また、江戸時代初期、徳川将軍家と
ゆかりの深い増上寺の代官である
奥住久右衛門が名主を務めていたため
「久右衛門町」と呼ばれていた地域は、
後に名主になったのが、遠江の浜松出身の
権兵衛であり、この時から「久右衛門町」が
「浜松町」と呼ばれるようになったと言われている。

地名に由来があるということは
ここが江戸だったからでしょう!江戸静岡説。

【戦国夢街道ハイキングコース】

森町には、徳川家康が敵に敗れて
命からがら逃げ延びた道を、
ハイキングコースとして整備した場所がある。

それが、「戦国夢街道ハイキングコース」で、
武将の霊を弔う塚や言い伝えが残されておるそうじゃ。

家康がわざわざ逃れてきたほどの場所なんだから、
江戸でしょう!江戸静岡説。

【歴史民俗資料館】・【友田家住宅】

更に森町には、江戸時代から昭和までの
生活用具等を展示している「歴史民俗資料館」や
約300年前(江戸時代元禄年間)に建てられた旧家で、
国の重要文化財に指定されている
「友田家住宅」などがある。

こんなに江戸時代のものが残っているということは、
ここが江戸だったからだ!江戸静岡説。

【土肥金山】・【古文書 徳川家康壺型黒印状】
【龕附天正金鉱】

伊豆市には、幕府直轄の金鉱として「土肥金山」
があった。また慶長年間に江戸幕府金山奉行が
支配していた「龕附天正金鉱」もあり、
江戸時代の坑道がそのまま保全されておる。

そこで採掘された金銀は慶長大判小判の地金となり
幕府を支えておった。幕府を支えた金山や

金鉱があるんだからこれはもう江戸でしょうな!
江戸静岡説。

【伊豆のワサビ】

江戸前寿司に欠かせない影の主役がワサビじゃが、
主に伊豆市のワサビが使われていたそうだ。

江戸前寿司の美味しさを、
より引き立てる役割を担う伊豆のワサビが
あっての江戸前寿司なんだから、江戸でしょう!

江戸前に使われているんだから。江戸静岡説。

【ふわふわたまご】

袋井市のご当地グルメ「たまごふわふわ」は
れっきとした江戸時代の名物料理なんじゃ。 

江戸時代の旅日記にも、袋井宿の太田脇本陣で
朝食の膳に載った記録もちゃんと残っておる。

江戸時代の料理が残ってるんだから、
これはもう江戸でしょう。江戸静岡説。

【旧植松家住宅】・【深良用水】

裾野市には、江戸時代から残る建築物
「旧植松家住宅」(建築物国指定重要文化財)
があり、江戸時代に開通した「深良用水」もある。

「深良用水」は世界かんがい施設遺産の認定を
うけるほどの技術が用いられていたと言うのだから、
そんな高い技術があったのは、
ここが江戸だったからでしょう!江戸静岡説。

【富士山本宮浅間大社本殿】・【北山用水】

富士宮市には、江戸時代、徳川家康が
奉賽のために造営したもので、二階建てにした
「富士山本宮浅間大社本殿」がある。

また、家康が開削に関わったとされる「北山用水」も
北山用水絵図として残っている。

これだけ江戸時代から続く建築物・文化財が
残っているのは、ここが江戸だったからでしょう。
江戸静岡説。

【香山寺石垣】・【龍源院石垣】・【韮山城】

伊豆の国市には、「香山寺石垣」「龍源院石垣」
「韮山城」など、外観の様子が江戸城に
見える遺跡がいくつか残っておる。

これは、この地が江戸だったから
建物の様子も似てくるのだ!江戸静岡説。

【江川酒】・【韮山竹】

伊豆の国市の「江川酒」は、
戦国時代から江戸初期にかけて醸造され、
北条早雲が命名し、田舎酒の五大銘酒として
徳川家康公にも好まれ献上していたんじゃ。

また、貴重な江戸時代の邸宅としての
面影を残す「江川邸」の内庭に生育している
真竹は「韮山竹」と呼ばれて、千利休ほか
多くの茶人から珍重されたおった。

江戸セレブに愛されたものが揃う
ここは江戸でしかない!江戸静岡説。

【江戸歌舞伎の引幕】

河津町には、見高出身の四代目市川小団次より
贈られた「江戸歌舞伎の引幕」があるが、
現存する数少ない引幕なんじゃ。

初代市川左団次の指導により、建築された
廻り舞台を備えた神楽殿も現存しておる。

江戸の伝統芸能の名残りがあれば
確実に江戸だな、江戸静岡説。

【釈迦涅槃像】

河津町には江戸時代に作られた、日本三大
寝釈迦像の一つで「釈迦涅槃像」があるんじゃ。

釈迦が生涯を閉じて涅槃に入る姿を現している
希少な像で、このような貴重な像が存在するのは
江戸だったからじゃろ。江戸静岡説。

【掛川まつり】・【龍華院 大猷院霊屋】・【松ヶ岡】

掛川の祭と言えば、江戸天下祭りの流れをくむ
三熊野神社大祭じゃな。江戸時代から現存する
祭り屋台(掛川祭 喜町)は有名だ、その他
掛川には、三代将軍家光公を祀る県有形文化財
「龍華院 大猷院霊屋」がある。

また掛川市指定文化財「松ヶ岡」は
江戸時代後期に建築されたお屋敷じゃな。
至る所に江戸があふれている!江戸静岡説。

【黒田家代官屋敷絵図】・【中条右近太夫】

江戸の名残と言えばお代官じゃが、最近、
菊川市の市内の横地小学校から代官所
「黒田家代官屋敷」の絵図面が出てきたそうだ。
今でも黒田家を誰もがお代官と呼んでいることは、
江戸時代を今に伝えるものだろう。

江戸時代に「中条右近太夫」が、
水が乏しく日照り被害に苦しむ人々を救うため幕府に
直接訴え処刑されてしまったそうじゃが、用水建設が
認められて、現在の嶺田用水が存在している。

こんな粋なエピソードがあるのも江戸だからだ!
江戸静岡説。

【獅子ケ鼻砦】

菊川市には、戦国当時、
「高天神を制するものは遠州を制する」
とまで云われた難攻不落の高天神城を
包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つ、
「獅子ケ鼻砦」の城跡が、現在も残っておる。

高みを目指した名残りまさに江戸!江戸静岡説。

【三島暦】

皆さんが使用しておるカレンダーだが、
三島には「三島暦」という国の登録有形文化財
が残されておる。仮名文字で印刷された
日本最古の暦じゃ。奈良~江戸~明治まで
発行されていて、江戸時代には幕府に暦を
献上もしていたのじゃ。三島は暦のふるさと
として知られ、三島暦は旅人にみやげもの
として求められていた。

暦を司っていたとなれば、
もう江戸じゃな!江戸静岡説。

【時の鐘】・【樋口本陣・世古本陣の門】

三島市には、「時の鐘」と呼ばれる
東海道の三島宿の時をつげる鐘があり、
江戸時代の観光名所だったところがあったり、
江戸時代格式の高い「樋口本陣」・
「世古本陣の門」なども残されている。

これらの江戸の香りはまさにじゃな、江戸静岡説!

【室岩洞】・【旧依田邸】

松崎町には、江戸城築城にも使われた
伊豆石を切り出した石切り場跡の「室岩洞」があり、
ジオスポットとして多くの人が訪れておる。

また「旧依田邸」は、江戸時代に建てられた
築300年の名主の旧家。

現在でも楽しめる観光スポットが
江戸時代に関連していたんだから、
江戸でしょう!江戸静岡説。

【黄金崎の石切り場】・【カネサ鰹節商店の鰹節】

西伊豆町の夕日の沈む絶景スポット
「黄金崎の石切り場」の石は、
駿府城の築城石に使用されていたそうじゃ。

また、「カネサ鰹節商店の鰹節」は、富士山へ
奉納されていて、長い歴史を持っておる。

間接的に江戸の香りがするのも江戸!江戸静岡説。

【宣光寺の釣鐘】・【酒井の太鼓】
【阿多古山一里塚】・【長森膏薬の立て看板】

磐田市「宣光寺」の釣鐘には、
「大旦那 源家康」と家康の名が刻まれている。

家康の名前の他に、鋳造などに関わった
見付の住人の名前も見られる。

また「酒井の太鼓」には、武田信玄が
遠江に侵攻した際、家臣の酒井忠次が
浜松城で機転を利かせて太鼓をたたき、
敵方の武田軍に策略があるように思わせ、
敵を退却させた話があり、
その時に使われた太鼓と伝わっている。

他にも、「長森膏薬の立て看板」などの
関連資料から、江戸時代、あかぎれ
などに効くとされ、東海道をと往来する
旅人や大名に評判だった膏薬の
立て看板などの関連資料が残っている。

磐田市にはこれだけ歴史の面影を感じる
ものが残っているということは、
言わずもがな江戸じゃな!江戸静岡説。

【太刀 銘備前成高】

磐田市はこれだけではとどまらず
「太刀 銘備前成高」といったお宝が残っておる。

元亀年間の武田信玄が遠江に攻めてきた際に、
見付宿の住人「上村清兵衛」が徳川家康を
助けたことへのお礼として家康公より拝領した
刀であり、これほどのお宝が残っているのは
動かぬ証拠、江戸じゃな!江戸静岡説。

【冨嶽三十六景】

皆さんも良く知っている浮世絵師 葛飾北斎
の作品「冨嶽三十六景」の中に、富士市からの
風景を描いたと言われている作品が
3作品もあるそうだ、これはもう富士市が
江戸だったから描かれた構図でしょう、江戸静岡説。

【駿河半紙】

江戸時代に使っていた紙は、
主に富士市で作られた駿河半紙(手すき和紙)
だったそうじゃ。江戸で使っていた和紙を
作っていたのだから、ここが江戸だったと
考えるのが妥当だろう、江戸静岡説。

【鈴川の富士塚】

江戸時代に付近の海岸でみそぎをした
富士山登拝者が、海岸から石を運び込んで
修行のはらいをした場所と伝えられているじゃ。

江戸時代にこのような重要で神聖な場所
だったということは、ここが江戸じゃろ。江戸静岡説。

【カノー伝説ツアー】

南伊豆町では、江戸城の築城の際に
船で運んでいた伊豆石とその伝説を楽しむ
カノー伝説ツアーというツアーを実施しておる
(一般の入場は有料)。

江戸城に、伊豆の石が使用されていた
ということはここ伊豆も江戸城の一部と
考えてよいだろう。よって江戸!江戸静岡説。

 
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