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過去の放送

過去の放送

2013年10月 5日放送 長倉洋海さん(第1858回)

会場
三島市立北中学校
講師
フォト・ジャーナリスト 長倉洋海

講師紹介

1952年北海道生まれ。
通信社勤務を経てフリーの写真家となる。
以降、世界の紛争地を精力的に取材。
2011年9月から12月にかけ、福島、岩手、宮城で取材、撮影した
「だけど、くじけない―子どもたちからの元気便」(NHK出版)を出版。


ポイント第1858回「被災地の子どもたち」

2011年の震災のあと、
東北の3つの県の子どもたちを撮影したときに思ったことは、
大人でも一生経験しない、
家族や友達や家を失うという大変な経験をこの子たちはしてしまったということでした。

でも、その中にでも笑顔と明るさがあり、一生懸命な姿に打たれました。
そうした子どもたちの笑顔がどうなっていくのか、
また笑顔に会えるのかと1年後再び被災地を訪ねました。

これは(福島の海岸での写真、突堤の上に一輪の花)いわき市の海岸の写真です。
この突堤を越えて津波が来ました。
1年前には壊れた家が残っていましたが、今は何もありません。
でもたくさんの人が亡くなっているので、このようなお供えの花や食べ物が置いてあります。
こうしたものを見るたびに、切なくなります。

(同じくいわき市の海岸の突堤の写真)突堤の内側に1年前はなかったきれいな絵が描かれています。
色つきのスプレーで、魚やカニやカメが描かれていました。
付近に家はなく、「どうしてか?」と思っていると、そこに10歳くらいの少年がやって来て、
「これは、ぼくたちがやっているガレキに花を咲かせようというプロジェクトだよ」と言いました。

彼の家はすぐ近くにあり、おばあちゃんもいて、
地震のとき、そのおばあちゃんは自分は逃げないといって残り、亡くなってしまったそうです。
彼は、そのおばあちゃんが作っていたバラの鉢植えの絵も地面に描いていました。
そのとき、周りは真っ赤に燃え上がり、血を流している人もいたと言っていました。
スプレーで絵を描くその少年は、自分の辛い経験をそのことで少しでも消そうとしているように思えました。

家をなくした人たちも少しずつ地元に帰ってき始めています。
自分たちで小さなプレハブの家を建て、
やはり生まれた場所で住みたいという思いで戻ってくるのです。

(バスの中で子どもたちがランドセルを背負っている写真)
福島第一原発30キロ圏内の子どもたちも一時は閉鎖された学校に仮設住宅からバスで通い始めました。
バスが着くと、校長先生が出迎え、降りてくる子どもたちをハイタッチで迎えます。
後日、海外から写真撮影のお礼のはがきを出すと、校長先生から電話がかかり、
「今年は校庭で運動会が出来ます」という嬉しそうな声が聞こえてきました。

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