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過去の放送

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2014年10月 4日放送 小山明子さん(第1907回)

会場
相良総合センターい~ら(牧之原市)
講師
女優 小山明子

講師紹介

1935年生まれ。
1945年に松竹にスカウトされ入社。
デビュー作「ママ横をむいてて」に出演。
1960年大島渚と結婚。
1996年大島氏が脳出血で倒れてからは
介護に専念する。
全国で介護体験の講演も行っている。


ポイント第1907回「大島渚と過ごした日々」

禍福は糾える縄のごとしと言います。

1996年、長男が結婚し孫が3歳、
次男も結婚が決まってお嫁さんの実家である四国に
家族皆で旅行に行って、まさに幸せの絶頂にありました。

これからは夫婦2人で人生を楽しんで行こうねと
話していた矢先、ロンドンで大島は倒れました。

あっという間に
地獄の底に突き落とされたようなショックでした。

人間にはどんなところに落とし穴があるかわかりません。
その時私は61歳、大島は63歳でした。

心の準備も出来ていなかった私はうつ病になりました。
息子たちに強制的に入院させられ、
治るまでに4年かかりました。

うつ病は前を向くことが出来ません。
自分はダメな人間だ、
自分ほど役に立たない人間はいないと思いました。

大島が家に戻り、
私が介護をしなければならなくなりました。

私は女優だったので、
台所のこともしたことがありませんでした。

医者のノートには
1200キロカロリーの食事を作るよう書かれています。
でもカロリーが何かもわかりません。

血圧が高くて脳出血になったので気をつけることや、
糖尿、高脂血症にも注意とも書かれていました。

私は夫のことをなにひとつ知らなかった自分を責めました。

でも現実に食事は作らねばなりません。
右半身がマヒし、言葉もあまり出ない大島を
病院にも連れて行かないといけません。

でも、現実が追い付かず、
私は自分が入退院を繰り返しながら地獄の日々を過ごしました。

何とかクリアー出来たのは
大島が優等生の患者だったからです。

一生懸命にリハビリをやり、
家族に「ありがとう」「済みません」と言ってくれました。

その言葉がなければ
あんなに気持ち良く介護ができなかったでしょう。

だから、大島は回りから愛されました。
そしてもう一度彼に映画を作らせると思わせました。

そして、2000年映画が出来、カンヌ映画祭にも行くことが出来ました。

そして、その後私のうつ病も回復に向かって行ったのです。

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