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過去の放送

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2016年7月31日放送 小菅正夫さん(第1994回)

会場
大井川公民館(焼津市)
講師
札幌市円山動物園参与 小菅正夫

講師紹介

1948年北海道生まれ。
北海道大学獣医学部卒業後、旭川市旭山動物園に獣医師として勤務。
飼育係長、副園長を経て1995年園長に就任。
現在は札幌市環境局参与円山動物園担当。


ポイント第1994回「ゾウの家族の絆」

大学を出てすぐに旭山動物園に入り37年を過ごしました。

沢山の動物に出会って楽しいことも沢山ありました。

入った時に言われたのは、

動物園というところは生きた動物を展示する博物館だということでした。

私が入った時に旭山動物園には2頭のゾウがいましたが、

数年後にオスのタローが死にました。

残されたのはメスのアサコ。

当然どこかから別のオスを買って来てペアにするのだろうと思っていましたが、

その頃ワシントン条約により希少動物の輸入が制限され、

アジアゾウもそれに該当していました。

今思えばその時にゾウの飼育をやめてしまえばよかったのでしょうが、

私も周りの人たちも勉強不足でした。

というのもそこで私たちはアフリカゾウの子どもを買ってきてしまったのです。

アフリカゾウとインドゾウでは繁殖は出来ません。

私は動物と言うのは子どもを産んで育てるために生きているということを

動物園で学んできました。

アサコはアフリカゾウの子どもをとてもかわいがっていましたが、

子どもは産めない。

そんな失意の中で64歳まで生き、

命をつなぐことが出来ないまま、私が園長になった翌年死にました。

このことは動物園にとっての恥であり、

動物園というのは動物たちが命をつないでいるところを見せる場所だと言うことを

考えさせてくれました。

私は2頭の象に対して無礼なことをしたのだと思い、

何とかしてゾウを増やす方法を考えました。

歴史を調べてみると、上野動物園には1888年に初めてゾウが来園しました。

その後大阪など主要都市の動物園に次々にゾウが入り、

動物園のシンボルとして親しまれていました。

残っている記録を見ると、1888年以降120年余りの間に

200頭を超えるゾウが日本の動物園に来ています。

ところが2007年まで、ゾウの繁殖はありませんでした。

その理由の1つは、単独でゾウを飼っていたこと、

もう1つは本当のゾウの生態を知らなかったことです。

ゾウは決して単独では子育てをせず、

特にメスが複数で子どもを育てるという事実を知らなかったのです。 

そのことを確かめるため、私はインドネシア・スマトラの国立公園を訪ねました。

そこは広い敷地の中で60頭のゾウが生活していました。

そして、子どものゾウもいました。

その子ゾウの周りを数頭の大人のメスのゾウが囲んでいて、

常にお互いの体が触れ合う距離でした。

水の中に入ってもそれは同じで、

数頭の中で密着した状態で子ゾウを遊ばせていました。

このことを120年以上、日本の動物園は知らずに、

あるいは知っていても見過ごしてきたのです。

これからはこんなにさびしがり屋で

優しいゾウのことを沢山の動物園に伝えていくことが私の使命だと思っています。

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