2016年12月 4日放送 平野啓一郎さん(第2011回)
- 会場
- 常葉学園(静岡市)
- 講師
- 小説家 平野啓一郎
講師紹介
1975年生まれ。北九州市出身。
1999年、京都大学在学中に「日蝕」で芥川賞を受賞。
2016年刊行の「マチネの終わりに」は
20万部を超えるロングセラーとなり、映画化も決定。
第2011回「過去は変えられるのか」
私の父は私が1歳半の時、家で昼寝をしている時に突然心臓が止まり亡くなりました。
そこには母と姉がいて、自分もいましたが状況は覚えていません。
後に、その時の自分の状況が知りたくて母や姉に聞きましたが、
2人とも何も覚えていません。
何となく自分はその時ハイハイしていたのではないかとずっと思っていました。
ところが自分にも子どもが出来、その子が1歳半になると、
ハイハイではなく、歩くということがわかって、
自分も父が死んだときにはその辺を歩いていたのだと言うことに気づきました。
30年以上も繰り返し思い続けてきたその光景が変わってしまったのです。
過去→現在→未来と時間は流れていますが、矢印を逆にして考えることもできます。
未来はどんどん現在になり、現在もどんどん過去になると言う意味では
その方が自然だと思う方もいるでしょう。
今の自分はどうしてこんな人間なのかと考えるとき、
過去にあった出来事や環境の蓄積だと思うこともあるでしょう。
辛い、いやな経験がトラウマになっていたりします。
つまり過去の因果関係は変えられないものだと考えがちです。
そして何かをしたいと思っても出来ない。
個人に限らず、企業でも、仕組みや制度を改革しようとするとき、
そのことに詳しい人ほど、反対することがよくあります。
2030年代の近未来を舞台にした小説「ドーン」は、
過去と現在の関係でがんじがらめになっている状態から抜け出すために、
むしろ自分が未来にどうありたいかを想像し、
そのためには自分は今どうあらねばならないかを、
未来の方から考えることをテーマにしています。
そのあとの「マチネの終わりに」では、
変えられないとされる過去も変えることが出来るのではないのか、
あるいはあえて変えようとしなくても、
過去は変わってしまうことがあるということを書きました。
起きてしまった事実や出来事と自分との関係は
記憶に頼るところが大きいけれども、確かなものではなく、刻々と薄れてゆく。
その過去から逃れられないと思っても、実はその過去は確固とした姿をしていない。
そこでこんな一節を書きました。
「花の姿を知らないまま眺めたつぼみは、
知ってからは振り返った記憶の中で、もう同じつぼみではない」
どんな出来事もすべてを知った上で進んで行くわけではなく、
自分も世の中も変わって過去も変わる。
凝り固まった自己イメージにとらわれず、
因果関係の中に閉じ込められることが無いようにしたいというメッセージです。