2017年7月30日放送 和合亮一、玄侑宗久、柳美里さん(第2043回)
- 会場
- 飯舘村交流センター(福島県)
- 講師
- 和合亮一、玄侑宗久、柳美里
講師紹介
■和合亮一(詩人)
1968年福島県生まれ。福島県で国語教師を務める傍ら詩人として活躍し、中原中也賞や晩翠賞などを受賞。東日本大震災の直後からツイッター上で連作詩「詩の礫」を発表し話題に。合唱曲の作詞や公演、朗読活動を行っている。
■玄侑宗久(僧侶・作家)
1956年福島県生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。現在は福聚寺住職の傍ら、客員教授や通訳などを務める。2001年「中陰の花」で芥川賞受賞。2014年東日本大震災の被災者を描いた短編集「光の山」で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
■柳美里(作家)
1968年茨城県生まれ。高校中退後、ミュージカル劇団に入団。役者、演出助手を経て、演劇ユニット「青春五月党」を結成。1993年に「魚の祭」で岸田國士戯曲賞を最年少で受賞し1997年「家族シネマ」で芥川賞を受賞。近著に「ねこのおうち」。
第2043回「子どもたちに伝えたいこと」
前回に続き福島県在住の三人の文化人に
発生から6年を経た東日本大震災について伺いました。
玄侑 ―
人間は生きていくうえで自分の記憶を変化させていきます。
記憶は単純化させていくのが普通で、
複雑化させていくというのは珍しい事だと思います。
記憶だけでなく、この震災で起きた原発事故の放射能についても、
安全と安心という言葉が入り混じり、より複雑化している気がしますね。
和合 ―
私は詩や作文のコンクールで審査員をする事があります。
先日、東日本大震災をテーマにしたコンクールがあり、
そこに小学六年生の手紙が10数通きました。
震災当時、幼稚園の年長だった子どもが、
6年経って震災について自分の言葉で語るようになりました。
日頃は震災についてあまり話さないそうですが、
大人と同じように震災の恐怖感や絶望感を
今も感じていているという内容でした。
そして「福島出身者に対するいじめや、
震災で行方不明になっている方々の気持ちが痛いほどわかる」
という手紙がほとんどでした。
記憶を単純化するのでなく、自分たちの言葉で震災を語り始めています。
柳 ―
インターネットの発達により、SNSで心ない言葉が飛び交っています。
他県に移住した子どもが福島から来たというだけでいじめにあっている事も、
福島在住の子どもたちは知っています。
本当は口にしたくない事も世間に晒されて傷ついてしまいます。
様々な要因によって記憶が複雑化していくのですね。