2011年4月 9日放送 立花龍司さん(第1732回)
- 会場
- 浜松市立高台中学校
- 講師
- コンディショニングコーチ 立花龍司
講師紹介
1964年大阪府生まれ。22歳で指導者への道を選択。
1989年にコンディショニングコーチとして近鉄に入団。
1997年、日本人初のメジャーリーグコーチとしてNYメッツと契約。
筑波大学大学院でスポーツ医学の研究にも携わっていた。
番組で紹介した本
運動神経は10歳で決まる!-立花龍司が教える「ゴールデンエイジ・トレーニング」
著:立花龍司
発行:マキノ出版(税込1,365円)
第1732回「コーチングの重要性」
私は22歳からコーチと呼ばれています。
コーチというとスポーツ界のイメージが強いですが、
親と子、先生と生徒など教えて伝える事がコーチングですので、
皆さんにとっても身近なものだと思います。
「コーチ、コーチ」と呼ばれますが、
ある時『コーチ』の語源は何だろうと思い、辞書で調べました。
①競技の指導者、②家庭教師などがあり最後に『馬車』と出ていました。
興味を持ちさらに詳しく調べると、
「大切な人を目的地まで安全に確実に送り届ける事」とありました。
「コーチ」と「馬車」なんとなく通じますよね。
戦前、戦後まもない頃のコーチングは、
命令絶対服従型で「何々しておけ」「ハイ」で終わっていたと思います。
このやり方でもある程度選手は育ちますが、
命令型で一方通行で教わった選手は、自分で考えられず消えていきました。
指示待ちの選手達です。
1964年、東京オリンピックが開催されました。
世界のコーチングを目の当たりにして、
日本の遅れに気付いた若いコーチが出てきました。
70年、80年代は、提案型でコーチが色々な方法を提案して、
選手との共同作業が始まりました。
その後、選手も自分の考えをコーチに伝えるようになり、
今は、質問、気付き、気付かせ提案型が主流になっています。
選手に質問して、考えを聞いてコーチが気付き、すぐ教えるのではなく、
会話を繰り返して、選手に答えを気付かせます。
自分で出した答えには、情熱を持って取り組みます。
時間はかかりますが、お母さんもお子さんにとってはコーチです。
腹をくくり、忍耐強く接してほしいと思います。