2019年6月 2日放送 吉岡たすくさん(第2132回)
- 会場
- テレビ静岡(静岡市)
- 講師
- 児童文化研究家 吉岡たすく
講師紹介
大阪で小学校の教諭・校長などを40年以上務める。
幼児教育と童話を研究するかたわら
執筆活動と全国各地での講演活動を続けた。
番組開始当初からレギュラー講師を22年間務め、
小学校教師の経験を元に独自の子育て論を展開。
1998年に番組を降板し、2000年5月逝去。
第2132回「吉岡たすく傑作選 ~うちのお父さん~」
テレビ寺子屋の放送開始は、昭和52年(1977年)でした。
それから平成を経て、令和を迎えた今も基本的な番組スタイルは変えずに放送を続けています。
そんなテレビ寺子屋の顔とも言えるのが、放送開始当初から最も多く講師を務めた故吉岡たすく先生です。
新しい元号になった今も、視聴者に向けて送られた吉岡先生のメッセージは色褪せていません。
今回は吉岡先生の数多く残る名講演の中から「お父さん」をキーワードにいくつか抜粋し、傑作選としてお届けします。
まず初めの話は、父の日についてです。
「母の日にお母さんに贈る花は?」と聞けば大体の方が「カーネーション」だと答えるでしょう。
ところが「父の日にお父さんに贈る花は?」と聞かれても答えられる人は少ないと思います。
そこで家庭でのお父さんの存在を物語る視聴者からの手紙を紹介します。
5歳、3歳、1歳の3人の子どもがいる家庭です。
お父さんが会社に出かける時、奥さんは「気を付けてね」と言います。
5歳の子どもは「行ってらっしゃい!」、1歳の子どもは「バイバイ」と言います。
3歳の子どもは何と言ったと思いますか?
物心付いたばかりの3歳の子どもが家庭でのお父さんの存在位置を表現するひと言に会場が和みます。
次の話は、参観日を見に来たひろちゃんのお父さんの話。
それは体育の時間で、1段から5段まである跳び箱を自分のレベルに合わせて挑戦する授業でした。
ひろちゃんはクラスで最後に1段が跳べるようになって、参観日には2段目に挑戦していました。
参観日の翌日、先生がひろちゃんに
「昨日、授業を見に来ていたお父さんは家で何か言っていた?」
と聞くと、ひろちゃんはお父さんの言葉を教えてくれました。
「一生懸命頑張っていたね。お父さんも昔は2段しか跳べなかった。
跳び箱は大嫌いだったんだよ。」
と言われたそうです。
お父さんは、跳び箱を跳べなかった事を怒る訳でもなく、
自分の体験を引き合いに出して我が子に寄り添ったのです。
他にも子どもから見たお父さん像をいくつか紹介します。
令和の子育て世代も「うちのお父さんと同じだ!」と思える微笑ましいエピソードが満載です。