2020年3月 8日放送 相田一人さん(第2169回)
- 会場
- 麁玉小学校(浜松市)
- 講師
- 相田みつを美術館館長 相田一人
講師紹介
1955年栃木県生まれ。相田みつをの長男。1996年から相田みつを美術館の館長を務める。全国各地での講演活動や執筆活動などを行う。2024年、相田みつを生誕100年を迎えた。
第2169回「みつをの言葉力」
先日、五十代くらいのご婦人のグループが美術館に来館されました。
その中の一人が、目を真っ赤にして泣いていました。
びっくりした私は、「どうされたのですか?」と聞きました。
するとその方は、「みつをさんの言葉は、当たり前のことばかりですが、
なぜか見ているうちに目頭が熱くなり、涙が止まらないのです。」と答えられました。
来館者のアンケート用紙にも、
「相田みつをの言葉は、当たり前の事しか書いてないですね。」
という内容をよく目にします。先ほどのご婦人の言葉もそうですが、
この「当たり前」とは、どういうことなのでしょうか。
父の作品には「言葉力(ことばぢから)」があるのだと私は思います。
父の「言葉」は、一見単純で、誰でも分かりそうな平易な表現ですが、
その裏には深く、色んなものが隠されているのです。
ひとつ、父の作品を紹介します。
苦しい時だってあるさ 人間だもの
迷うことだってあるさ 凡夫だもの
あやまちだってあるさ 俺だもの
これは、父が三十代半ばの若い頃の作品です。
この作品が、二十数年経つと、次の様に、内容が若干、変わってきます。
くるしいことだってあるさ 人間だもの
まようときだってあるさ 凡夫だもの
あやまちだってあるよ おれだもの
お気付きですか?
「あやまちだってあるさ」が「あるよ」と、「さ」が「よ」に変わっています。
つまり三十代の作品は、肩で風を切って歩いているような、得意げな作風なのですが、
後年に書かれた作品では語尾が「あるよ」となり、謙虚とも受け取れるように変化しました。
父は、いつも夜遅くまで、作品を推敲していました。
ひとつの文字がいかに大きく作品を左右するか、
言い換えれば「言葉」がいかに大きな「力」を持っているか、
という父のこだわりだったと思います。
今日は、父の作品を紹介しながら、「みつをの言葉力」についてお話しします。