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過去の放送

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2021年7月 4日放送 相田一人さん(第2237回)

会場
静岡県男女共同参画センターあざれあ(静岡市)
講師
相田みつを美術館館長 相田一人

講師紹介

1955年栃木県生まれ。相田みつをの長男。
東京国際フォーラムにある「相田みつを美術館」館長。
現在、美術館業務の傍ら、
全国各地での講演活動や執筆活動を行っている。


ポイント第2237回「みつをが遺したもの」

父・相田みつをは1991年に67歳で亡くなりました。

脳内出血が原因でした。

意外かもしれませんが父が亡くなった時点で

相田みつをを知る人はほとんどいませんでした。

父の作品が知られるようになったきっかけはいくつかありますが、

大きな災害が起こるとなぜか、みなさん父の作品を思い出すようです。

阪神淡路大震災、そして10年前の東日本大震災、

この時は『うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる』

という言葉がクローズアップされ共感を呼びました。


父・みつをは書家であり詩人、二つの肩書を持っていました。

父の他に同じ肩書の人はいませんでした。

父が作品に込めた思いを息子なりに説明させていただきます。

まず『道』という作品。


歩くから道になる 歩かなければ草が生える


父は自分が歩くから道ができる、「パイオニア」という意識があったと思います。

その反面、歩み続けるしかないという怖さも感じさせます。

そして同じ『道』というタイトルの別の作品。


道はじぶんでつくる 道は自分でひらく

人のつくったものはじぶんの道にはならない


この作品には思い出があります。

25年以上前の話ですが私のところに宅配便の荷物が届きました。

届けに来た青年が玄関先のポスターを見ていきなり

「これ、くれませんか?」と言い出したのがこの作品です。

いま思えば父の作品は見る人の胸にダイレクトに入るのです。

本質や大事なメッセージだけが先に伝わって誰が書いたかは関係なくなってしまう、

それが父の作品の特徴だったのかもしれません。

似ているものの正反対の作品を2点紹介します。


花はただ咲く ただひたすらに


花は誰かに見られているから咲いているのではなく、

ただひたすらに咲いているから美しいという作品です。

父の心の底にあった願い、理想像を投影した作品です。


花はただ咲く ただひたすらに

ただになれない人間のわたし


理想と現実、それを踏まえたうえで

繊細なセンサーで人の気持ちを理解しようとしたのが父の作品です。

こうした気持ちがあって『にんげんだもの』という言葉が生まれたのです。

父の言葉は一見平易で単純そうな感じがしますが

実は視点が常に複数設定されていていろいろな面から物事を見て書かれています。


いまコロナの時代になって父の作品は改めて注目されています。

もし父がいまの時代を生きている人に読んでもらいたい作品があるとすれば、この作品です。


『道』

長い人生にはなあ どんなに避けようとしても

どうしても通らなければならぬ道というものがあるんだな

そんなときはその道を黙って歩くことだな

愚痴や弱音を吐かないでな

黙って歩くんだよ ただ黙って

涙なんか見せちゃダメだぜ

そしてなあ そのときなんだよ

人間としての いのちの根がふかくなるのは

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