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過去の放送

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2022年7月10日放送 金澤泰子さん(第2288回)

会場
さくら台幼稚園(富士市)
講師
書家 金澤翔子の母 金澤泰子

講師紹介

1943年生まれ。明治大学卒業後、書家の道へ。
1985年、娘の翔子をダウン症児として授かる。
1990年、娘が5歳の時に書道教室を開設。
「天使の正体」「悲しみを力に」ほか著書多数。

番組で紹介した本

「ダウン症の書家 金澤翔子の一人暮らし」著:金澤泰子(かまくら春秋社)

ポイント第2288回「翔子の挑戦 地域と共に生きる」

障がいがある子どもを持つ親が「自分が亡くなったあと、この子は生きて行けるのだろうか?」と思うのは私だけではないと思います。

翔子は20歳になった頃から「30歳になったら一人暮らしをする」と宣言していました。感受性の強い子なので、いま考えると母親の思いを汲んで準備をしていたのかもしれません。ところが障がいがある娘に部屋を貸してくれる人はなかなかいませんでした。運よくみつかったのが、とても素敵な商店街にある部屋。実家から7分くらいのところでした。引っ越しの日。最後の荷物をキャリーバックに詰めて家を出る翔子に「いってらっしゃい」と声をかけると、「いってらっしゃいじゃなくて"さようなら"でしょ」そう言って翔子は玄関を出ていきました。

翔子は料理が上手です。毎日、商店街の店に買い物に行って食事の準備をします。できないと思っていたのは私の思い込みでした。八百屋さんに、お肉屋さん...。店の人と親しくなり、いまでは家族のようです。商店街の人たちも翔子のことを理解してくれています。

和菓子屋の女将さんは毎日、翔子と一緒に歌ってくれます。店の片すみで歌っている二人の姿を見かけたことがあります。みんなに愛されて自立している翔子の姿に涙が止まりませんでした。とんかつ屋のおばさまはゴミの分別を教えてくれました。翔子はいま「ゴミ捨ての名人」です。おばさまはいまガンを患って闘病中。翔子はひたすら回復を祈っています。また商店街には翔子が毎日ランチに行くお店があります。いろいろな人が集まる交流の場です。翔子が行くとみんなが喜んでくれるし、行かなければみんなが心配してくれます。この世の中は「やさしさ」に満ちています。

ある寒い日、翔子から電話がありました。商店街で「猫が迷子になっている」という話でした。翔子は「公園の木の下に自分の名刺を置いてきたから大丈夫」と言いました。名刺を見た猫が電話をくれると思っているのです。

翔子の部屋にある父親の遺影の前にはメモ書きが置いてあって「私が留守の時には連絡をください」と携帯番号が書いてあります。翔子の中にまだ父親は生きているのです。現実の世界で「一人暮らし」をしながら翔子は独特の世界感も持ち合わせています。

障害がある子どもは「自立できない」と思ってきました。しかしそれは大人の思い込みかもしれません。信じてあげればできるのです。障がいがあってもなくても、みんな同じ力を持っています。そして認めてあげることでどんどん伸びていきます。できるまでにかかる時間がほんの少し違うだけです。ダウン症の書家・金澤翔子の一人暮らしへの挑戦が明るい未来につながればと思っています。

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