2014年3月 1日放送 野口健さん(第1877回)
会場 | 御殿場市民会館 |
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講師 | 登山家 野口健 |
講師紹介 | 1973年アメリカ生まれ。1999年エベレスト登頂に成功し、 |
会場 | 御殿場市民会館 |
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講師 | 登山家 野口健 |
講師紹介 | 1973年アメリカ生まれ。1999年エベレスト登頂に成功し、 |
私の活動の中で10年間やって来て最も知られていないのがこの遺骨収集活動です。
登山家がなぜと思われるのですが、自分としては自然に始めたことです。
きっかけは祖父でした。
小さい頃、祖父の家に行くと、決まって戦争の話をしてくれました。
いとこたちはそれを嫌って逃げて行きましたが、
私だけは逃げ遅れて聞くはめになり、いつも布団の中で聞かされました。
当時、ビルマ(今のミャンマー)にいた祖父は、
深いジャングルを超えて10万人もの兵士が移動し、
敵を奇襲する作戦に加わっていました。
ところが物資は不足していてとても10万の兵が食べるものは手に入りません。
部下の兵士が次々に倒れて死んで行くのを、祖父は見ていました。
当時捕虜になることは禁じられていて、
歩けない兵士は手榴弾を持たされ、自害するしかありませんでした。
ある時若い一人の兵士が泣いていて、足元を見ると怪我をした傷口からウジがわいている。
「口や鼻からウジが出てくるようになるとその兵士は3日で死ぬんだ」と
祖父はこわくて寝たふりをしている私の耳元でいいました。
子どもには強烈すぎる話でした。
私が19歳のころ、再び祖父が私に「健、おれは苦しい」と言いました。
「何が」と聞くと、
「あのインパールでたくさんの部下を死なせ、おれは一人捕虜になって帰ってきた。
今は孫たちに囲まれて幸せだが幸せになればなるほど苦しい」と。
その言葉は印象として頭に残りましたが、本当の意味はわかりませんでした。
登山家になり、2度エベレストに登頂しましたが、何人もの仲間を山で失いました。
2度目の時は山頂に立って互いに握手しいざ下山し始めた時、
相方が突然膝からがくりと落ちそのままけいれんを起こして倒れました。
酸欠でした。
見るとボンベは空で、もう助かる見込みはありません。
私は残るのか一人下山すべきかの選択を迫られました。
彼は「先に行け」と僕に言い、まだ迷っている僕の前でほどなく息を引き取りました。
彼を残して一人で下山している時、「苦しい」と言ったあの祖父の言葉がよみがえりました。
戦争と冒険とは違いますが、共通点を感じました。
死にゆくものの覚悟や無念さ。
そして残され生きていくのにも覚悟がいる。
それを祖父は私に伝えたかったのでしょう。
1970年代に事実上終了した戦地の遺骨収集、
いまだに115万人もの遺骨が残されていると言います。
祖父が私に与えた宿題なのだと感じています。