2014年3月22日放送 奥村幸治さん(第1880回)
会場 | 大富公民館(焼津市) |
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講師 | NPO法人ベースボールスピリッツ理事長 奥村幸治 |
講師紹介 | 1994年、イチロー選手が210安打達成時に専属の打撃投手を務め、 |
会場 | 大富公民館(焼津市) |
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講師 | NPO法人ベースボールスピリッツ理事長 奥村幸治 |
講師紹介 | 1994年、イチロー選手が210安打達成時に専属の打撃投手を務め、 |
日米通算4千本安打の記録を達成した時のイチロー選手のコメントは
「ぼくは8千回の苦しみを乗り越えてきたことが唯一の誇りです」というものでした。
あれほどの選手でも、大記録達成は簡単でなかったことが分かります。
イチロー選手はいつも自分を向上させるためにどんな事をしているのでしょう。
「心・技・体」とよく言われます。
イチロー選手の場合、技術の部分は文句なしに素晴らしいものですが、
彼と同じくらいの技術を持っている選手は他にもたくさんいます。
ところが、アメリカで10年連続200本安打、
日米通算4千本などという記録はほとんどの選手が無理と言えます。
心の部分を見ると、イチロー選手は毎日、プラス思考を持ち続けています。
第1のプラスは、「今日の試合に早く行きたい」「早くバットを持ちたい」と思うことです。
ある時日本の子どもたちに「どうすればそんなにたくさんのヒットを打てるの?」と聞かれて
イチロー選手はそれが一番厄介な質問だと言いました。
「子どもたちのように、いつまでも打ちたいという気持ちを持ち続けることが出来ればいい」
そして、「ぼくはメジャーリーガーの誰よりもこの気持ちを作ることが出来ます」と言いました。
そこには、いつも前を向いて戦っているイチロー選手の姿がありました。
210本のヒットを打ったシーズンに私はイチロー選手の打撃投手を務めていました。
ある時、3試合ヒットが出ないときがあり、私が帰るときに声をかけ、
「練習するなら投げようか?」と聞くとイチロー選手は、「要りません」と言いました。
「不安ですが、ぼくはバットを持ちたくて仕方がない状態で試合に臨みたいのです。
それに今練習して疲れてしまったら、自分の技術を生かせなくなるじゃないですか」と。
さらに、「疲れていてもそれを求めなければならないのは、キャンプや自主トレの時です。
一軍で毎日のように試合がある時、やらなければならないのは体調管理です」と付け加えました。
その時私は21歳、イチロー選手は20歳でした。
その前の年、イチロー選手が二軍にいて、私は一軍の打撃投手でした。
夜ナイターが終わって帰るとイチロー選手はすでに寝ていましたが、
私が食事や洗濯を終え、深夜1時近くになって寝ようとすると、
室内の練習場から「カーン」というイチロー選手のバッティング練習の音が聞こえてきました。
それは明け方まで続くこともありました。