2016年5月 1日放送 奥村幸治さん(第1983回)
会場 | 菊川文化会館アエル(菊川市) |
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講師 | NPO法人ベースボールスピリッツ理事長 奥村幸治 |
講師紹介 | 1994年、イチロー選手が210安打達成時に専属の打撃投手を務め、 |
会場 | 菊川文化会館アエル(菊川市) |
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講師 | NPO法人ベースボールスピリッツ理事長 奥村幸治 |
講師紹介 | 1994年、イチロー選手が210安打達成時に専属の打撃投手を務め、 |
僕が初めてボールを握ったのは3歳の時、
野球経験のない父が、僕をプロ野球の選手にしたくて、
よくキャッチボールをしてくれたのが思い出です。
小学校2年生の時、父と少年野球チームを見に行きました。
3,4チームの中で父が選んだのは一番厳しい練習をするチームでした。
丸坊主のチームだったので、いやだなと思いつつも、
父に背中を押される形で入団しました。
でも、入って見ると学べることが沢山あり、
数々の大会で優勝し、尊敬できる先輩もいて、
自分も彼らに続きたいと思いました。
小3の時、チームから父にコーチになって欲しいと言う話がありました。
父は初め迷っていましたが、
「野球の経験はないが、こんなわしにも出来ることがあるかもしれない」
と言って引き受けました。
僕は父と、土日の練習の1時間前にグラウンドに行くことを約束しました。
そして、その通り1時間前に行くと、父は1人でグラウンドを整備し、
道具を準備していました。
僕には「練習が始まるまで走っとけ」と言いました。
そんな日々が続いたある日、チームメイトの1人が、
「俺は"奥ちゃんのおっちゃん"に救われた」と言いました。
「何で?」と聞くと、「俺はレギュラーじゃなかったけど
いつも奥ちゃんのおっちゃんが練習に付き合ってくれて、声をかけてくれた。
やめようと思ったけどやめなかったのはおっちゃんがいてくれたからだ」と言うのです。
野球をやったことのない父の存在が大きいことを知りました。
僕は小学校では投手ではなくショートやキャッチャーをやっていました。
でも6年生になるとなかなか勝てず、
やはり野球は投手だと思って父に相談したところ、
監督に自分の気持ちを言いに行けと言われました。
そして投手になり、最後の大会では優勝することが出来ました。
中学になると父は「もうお前は技術的に沢山学んでいるから何も言わないが、
お前のことは俺が一番見て来た、調子が悪いときもいい時も分かる。
何か感じたときは話をさせてくれ」と言いました。
高校2年生の時、試合で打たれて情けない気持ちで家に帰ると、
父が「お前調子悪いな。今からランニングしてきたらどうや」と言います。
僕は頭にカチンと来たものの、仕方なく走りに出かけると、
父が自転車で後からついてきていました。
こんな父親、今ではあまりいないと思います。
そして僕は高校卒業と同時に、プロの門をたきました。