2020年3月 1日放送 鎌田實さん(第2168回)
会場 | 三島市民生涯学習センター(三島市) |
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講師 | 医師・作家 鎌田實 |
講師紹介 | 1948年東京生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業。 |
会場 | 三島市民生涯学習センター(三島市) |
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講師 | 医師・作家 鎌田實 |
講師紹介 | 1948年東京生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業。 |
人生を逆転させる言葉、「にもかかわらず」
という生き方を教えてくれたのは、私の父、岩次郎さんです。
岩次郎さんは、実父ではありません。私は実父を知りません。
岩次郎さんは、最後まで、どのような経緯で私を養子にしたのかを教えてくれませんでした。
岩次郎さんは、青森のリンゴ農家の子どもとして産まれました。
兄弟も多く、家も貧しかったので、
末っ子の岩次郎さんは尋常小学校を出てすぐ、東京に働きに出ました。
そして私の母になってくれた人と結婚しました。
母は、重い心臓の病気を抱えていました。入院もよくしていたようです。
夫婦二人が生きて行くだけでも苦しい中、私を育ててくれました。
貧困と大病を抱える家族がいて、大変な毎日である「にもかかわらず」、
行き場のなかった1歳10ヶ月の私を拾って、養子として迎えてくれました。
岩次郎さんは、1日15時間くらい働いていました。
一生懸命働いて家族の面倒を見てくれたのです。
私を育ててくれていた時、一度も恩着せがましい事を言ったことはありませんでした。
私が18歳の夏のことでした。
私は、自分の将来の夢を叶えるために、大学に行かせて欲しいと岩次郎さんに懇願しました。
しかし、父である岩次郎さんは、私に
「無理するな!誠実に生きていれば、普通に生きていける!」と言いました。
父は、生きて行くことに関して、自分なりのポリシーがあったと思います。
しかし私は、世界で活躍できる仕事がしたいと抵抗しました。
そして、「貧乏人は、とやかく言わず、働けばいい!」と、
父である岩次郎さんが言った瞬間、とうとう私は切れて、
父の首に手をまわし、大喧嘩をしたのです。恥ずかしい過去です。
人生は、すべて上手くいくということはありません。失敗もします。
にもかかわらず、人生は再挑戦を許してくれました。
今日は、私が医師として出会った、
「にもかかわらず」という生き方をした人たちの話をしたいと思います。