2011年10月15日放送 菊地幸夫さん(第1759回)
会場 | 大富公民館(焼津市) |
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講師 | 弁護士 菊地幸夫 |
講師紹介 | 中央大学法学部卒業。元司法研修所刑事弁護教官。 |
会場 | 大富公民館(焼津市) |
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講師 | 弁護士 菊地幸夫 |
講師紹介 | 中央大学法学部卒業。元司法研修所刑事弁護教官。 |
大学や、司法研修所で教えたりすることがあります。
たとえばAさんとBさんとの間の紛争をテーマに、
AさんBさんそれぞれの立場で意見を述べよと課題を与えると、
ほとんど彼らは黙ったまま、私をじっと見ているだけです。
考えるのではなく、私の答えを待っているのです。
皆、いわゆる難関大学に通う学生であったり、
司法試験に合格した研修生なのになぜだろうと思うのですが、
どうも途中のプロセスはさておき、早く正解が欲しいという姿勢のように見えます。
彼らの受けてきた教育は、頭を使って
「僕ならこう考える」「私ならこうする」というトレーニングではなく、
正解を覚えて、試験でそれを思い出すというものだったのではないでしょうか。
私は司法試験に合格したあと、裁判官の下で研修を積みました。
ある時、その先生に、自分がどうしてもわからないことを聞きに行くと、
先生は「日本中の文献を調べましたか」とおっしゃいました。
私はあっけにとられながらも、目上の経験者に対するマナーなのだと思い、
すぐにあちこちの色々な文献を調べました。
1週間後に再び先生を訪ね、私の調べたものを伝えると、
「それだけ調べたならいいでしょう。では、私の見解を言います」と言って、初めて教えてくださいました。
私は、そのとき、前回突き放されたことが、自分のためになったことを実感しました。
手っ取り早く答えを求めるやり方は、すでに自分の道が決まっている人には有効かもしれませんが、
何をしたらいいか自分で考えろと言われたときに、立ち往生する若者は多いと思います。
今,箸の持ち方も鉛筆の持ち方もでたらめの子がいます。
親が教育能力を失っているのかもしれません。
教育は画一的なものではありません。
親は、悩みながらも、考えて、会話して、いい距離感をつくり、
しかも過保護ではなく、あたたかく見守りたいものです。