2012年5月26日放送 鈴木中人さん(第1789回)
会場 | 方広寺(浜松市) |
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講師 | いのちをバトンタッチする会代表 鈴木中人 |
講師紹介 | 1957年生まれ。 |
番組で紹介した本 | *番組で紹介した本 |
会場 | 方広寺(浜松市) |
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講師 | いのちをバトンタッチする会代表 鈴木中人 |
講師紹介 | 1957年生まれ。 |
番組で紹介した本 | *番組で紹介した本 |
私は愛知県で生まれ、地元の会社に勤め、社内結婚をして、
子どもが2人生まれ、普通の家庭を営んでいましたが、
長女の景子ちゃんが3歳の夏、小児がんを発病しました。
お腹にできたがんです。医師からそれを告げられた時、
「何で景子ちゃんが!何で俺が!」という思いにかられ、
「どうか、よくなりますように」と景子ちゃんの寝顔に妻と手を合わせました。
それから206日間、大学病院で治療を続け、やっと回復して戻れるということになり、
念のためにと言って検査したところ、脳にがんが見つかりました。
やがて骨にも転移して、医師には「あと数カ月」と宣告されました。
私と妻は2つのことを決めました。
ひとつめは景子ちゃんに輝きのある一日一日を届けること。
ふたつめは、安らかに送ることでした。
辛い治療の毎日が再び始まりました。ある時、保育園で生活発表会がありました。
景子ちゃんは、「笠地蔵」のナレーター役を一生懸命につとめました。
そのまま家には帰れず、再び病院に戻った時、
景子ちゃんは、「お母さん、私が病気だからいつも病院でごめんね」と謝りました。
妻は「そんなことないよ。いつも一緒だから大丈夫だよ」と答えました。
その晩、妻はトイレで泣きました。
4月には小学校に入学、骨が弱っていたので、病院から車いすで先生や友達に会いに行きました。
看護師さんの結婚式にも行きました。
景子ちゃんの夢はお嫁さんになることでした。
結婚式から帰ると、自分の花嫁姿を絵に描きました。
そのころには景子ちゃんの目の周りは薬のために黒ずんでいて、
すれ違う人はみんな振り返りました。
何で頑張るんだろうと思いましたが、景子ちゃんは「死んでしまう子」ではなく、
「生き抜こうとする子」でした。
命には、体の命と心の命があります。
大切な人を亡くすことは、人生を再構築するきっかけになるのです。
大切な人が亡くなったあと、その人を思い、物語ることで心の命はつながり、
今生きることの意味が深まるのです。