2012年9月22日放送 野口健さん(第1806回)
会場 | 吉田町学習ホール |
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講師 | 登山家 野口健 |
講師紹介 | 1973年アメリカ生まれ。1999年エベレスト登頂に成功し、 |
会場 | 吉田町学習ホール |
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講師 | 登山家 野口健 |
講師紹介 | 1973年アメリカ生まれ。1999年エベレスト登頂に成功し、 |
もともとは登山家ですが、最近電車などで子どもと目が合うと、
「あ、ゴミの人だ!」などと言われます。
山に登っていてゴミの問題にぶつかり、
また、ヒマラヤの5千メートルの氷河がとけているのを見て気候変動も実感しました。
エベレストに登るには1千万円以上の資金が必要です。
初めての時は資金集めのためにあちこちスポンサーを探し回り、
ある会社では計画書を目の前で破られたりしました。
97年、23歳で初挑戦しました。
記者会見で「自信はありますか」と問われ、
私の口が勝手に「自信がなければ行きません」と答えていました。
エベレストにはそれまで約千人が登頂していましたが、
3百人くらいが遭難している山です。
6、7千メートルを超えると、いくつもの遺体が横たわっています。
おろすのは困難なのです。
その遺体を見ながら登ると、嫌でも「死の世界」が迫ってくるような気がします。
本の中では"死も覚悟で"という世界はロマンですが、現実にそれがあると、
本能的に「生きて帰りたい」という思いがわきます。
ベースキャンプから登って下りるのに2カ月。
一気に登れば高山病になるので、慣らしながら登りますが、
吐き気と頭痛の中、無理をしてついに酸素欠乏状態になり気を失いました。
6時間後に発見されましたが、肺はやられ、ひどい凍傷でした。
日本に帰ると失敗だと責められ、売名行為と言われました。
でも挑戦をやめようとは思いませんでした。
2回目は1年後、順調に登り、あと3百メートルまでこぎつけたとき、
突如吹雪が襲いました。
私はこれで帰ったらまた何を言われるかと悩みましたが、下山しました。
相方のスペイン人は山頂を目指して突っこみ、遭難しました。
命は取りとめましたが、ベースキャンプに帰って来たとき、
手足の指は真っ黒に壊死していました。
私はこの時、成功とは何だろうと考えました。
ひとそれぞれにそれは違うと思いました。
3回目、やっとエベレスト登頂に成功したのですが、
2回目の失敗に大きな意味があったと思います。
夢を抱くことは楽しい事だけでなく、
生みの苦しみも含めて夢といえるのではないでしょうか。