2010年12月 4日放送 宮川花子さん(第1716回)
会場 | 相良総合センターい~ら |
---|---|
講師 | 漫才師 宮川花子 |
講師紹介 | 1955年大阪生まれ。高校卒業後、 |
会場 | 相良総合センターい~ら |
---|---|
講師 | 漫才師 宮川花子 |
講師紹介 | 1955年大阪生まれ。高校卒業後、 |
「大助さんと仲がいいですね。恋愛ですか。見合いですか。」
とよく聞かれます。私たちは衝撃婚です。
出会って3ヶ月で、結婚を申し込まれました。
私は大阪生まれの大阪育ち、親戚もほとんど大阪。
大阪を離れることを考えたことがないので、大助の故郷が鳥取県ということが1番の問題でした。
しかし、私は「鳥取へ行ってもいいよ」と返事しました。
母に、結婚相手が見つかったかもしれないと報告すると、
母の第一声は「あなたは20歳になっている。自分で決めればいい。」と言いました。
母は、子育てに自信があったからこそ、「私の好きにすればいい」と言ったと思います。
大阪の、共同トイレ、風呂なしの四畳半のアパートで結婚生活がスタートしました。
娘が産まれ、ひな祭りをしたいと思っても、お金がありません。
ジャガイモや卵に目や鼻を書き、内裏様とお姫様を作りました。
娘はジャガイモを見て、お父さんに似ていると大喜びでした。
お金をかけて、特別な事をしなくても、親の気持ちは伝わるものだと学びました。
娘が、小学校1年生の時に「一緒に漫才やらんか」と、大助に誘われました。
彼は、「どんな素質がなくても、まじめに練習すれば売れる」と言いました。
娘もいて迷いましたが、大助の夢についていく事にしました。
大助、花子の最初の危機は私が「ガン」になった時です。
恥ずかしい話、漫才さえしてなければ、病気にならなかったのではと、夫さえ恨みました。
でも、泣いても、笑っても、怒っても、月日は流れます。
結婚して30年目の記念日に、夫が初めてウェディングドレスを着せてくれました。