2011年7月 2日放送 三屋裕子さん(第1744回)
会場 | 清水江尻小学校(静岡市) |
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講師 | スポーツプロデューサー 三屋裕子 |
講師紹介 | 1958年福井県生まれ。 |
会場 | 清水江尻小学校(静岡市) |
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講師 | スポーツプロデューサー 三屋裕子 |
講師紹介 | 1958年福井県生まれ。 |
バレーボールの選手としてオリンピックを目指し、
引退後は学校の先生になるのが私の人生計画でした。
高校を卒業する時、実業団のチーム数社から声が掛かりました。
私は教師を目指していましたのでお断りし、大学に進学すると伝えました。
すると「オリンピックには行かないのですね」と言われ、
さらに「大学に行ったら回り道でオリンピックは無理です」とはっきり言われました。
私は「大学に行きながらもオリンピックに出場する」と闘志がわきました。
オリンピックを目指している時の練習は肉体的にも、精神的にも、厳しいものでした。
「金メダルを取る」という大きな目標があったからこそ、頑張れたと思います。
結果は、負けて悔しい銅メダル。
オリンピックを最後に引退し、二週間後には高校教師になっていました。
すぐに体育を教えるようになりましたが、
それまで選手として教わる立場の人間だったのが、
いきなり教える側になり、戸惑いました。
教えるということが、全くわからないのです。
特にバレーボールの授業は困りました。二週間前はオリンピック選手です。
私が瞬時に反応し、無意識に出来る事をどう説明したらいいのか悩みました。
そして何がわからないのか知ることが第一と思い、
生徒にわからないことをノートに書いてもらいました。
500人の生徒と交換日記です。
このノートは役に立ち、教え方のヒントになりました。
また私にとっては、バレーの分解作業でした。
そうするうちに私の指導が生徒にストレートに伝わり、
生徒たちが素直に反応してくれるようになりました。
生徒から多くを学び、いつも答えは生徒のなかにありました。