2012年6月 9日放送 鈴木中人さん(第1791回)
会場 | 方広寺(浜松市) |
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講師 | いのちをバトンタッチする会代表 鈴木中人 |
講師紹介 | 1957年生まれ。 |
会場 | 方広寺(浜松市) |
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講師 | いのちをバトンタッチする会代表 鈴木中人 |
講師紹介 | 1957年生まれ。 |
「誰もが幸せな人生を送りたいと思っていますが、それを実感している人は少ないようです。
私は会社に入り、社内結婚をしました。
社宅の小さなテーブルに2つのお皿が並び、幸せを感じました。
数ヶ月後に妻に赤ちゃんができました。
「私、お母さんになるの」と言って涙を流した妻を見て、
「女性が母になるとはこういうことなのか」と思いました。
長女の景子ちゃんが生まれて100日が過ぎ、「お食い初め」をしました。
テーブルの上に初めて3枚の皿が並びました。
その後弟も生まれ、皿は4枚に。
しかし、数年後長女は小児がんにかかり、入院。
妻と長女は病院、息子は私の実家、私だけが家で、お皿は1枚になりました。
景子ちゃんが3年間の闘病生活の末に亡くなり、ふと気がつくと、お皿は3枚に。
同じ3枚でも、2枚から3枚に増えたのと4枚が3枚に減ったのとでは全く違います。
テーブルの上にあったものは「私の心」でした。
子供のころ、私には夢がありませんでした。
大人になっても超現実的な人間でした。
新婚旅行の行きがけにディズニーランドに行き、とても楽しく、ワクワクしました。
そして、「ディズニーランドに子どもと行きたい」という夢をもちました。
数年後、「小児がんの家族」としてディズニーランドに行きました。
景子ちゃんは園内をうれしそうに走り回りました。
私は「今度は普通の家族として来よう」と思いました。
しかし、2年後に訪れたのは景子ちゃんが余命宣告を受けたあとでした。
でも、車イスの景子ちゃんは、憧れの白雪姫と記念写真に納まり、笑顔いっぱいでした。
そして、「お父さんまた連れてきてね」と言いました。
「うん、また来ようね」と私が答えると、「やったー」と弟と二人で大喜びをしました。
それは悲しい嘘でした。
夢は生きる力になります。
景子ちゃんは亡くなる数ヶ月前、病室で家族でピクニックに出かける絵本を描いていました。
そして、ピクニックに行く時、不自由な体でも自分で水が飲めるようにと
ストローつきの水筒を買ってきて欲しいと私にねだりました。
その水筒を景子ちゃんはいつも枕元においていました。
幸せは特別なものでなく身近なところにあります。
大切な人とのかかわりの中でいのちを見つめ、支えあい、寄り添うことで芽吹いてくるのです。