2012年9月 1日放送 腰塚勇人さん(第1803回)
会場 | 城北 |
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講師 | 元中学校体育教師 腰塚勇人 |
講師紹介 | 1965年神奈川県生まれ。 |
番組で紹介した本 | 「感謝の授業 ドリームメーカーたちがくれた贈り物」 |
会場 | 城北 |
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講師 | 元中学校体育教師 腰塚勇人 |
講師紹介 | 1965年神奈川県生まれ。 |
番組で紹介した本 | 「感謝の授業 ドリームメーカーたちがくれた贈り物」 |
2002年にスキーで首の骨を折り、首から下が全く動かなくなったところから、
周りの皆さんからの励ましや応援を得て社会復帰できるようになるまでの様々な体験を、
全国でお話ししています。
よく聞かれることは「どうしてそこまで回復できたのか」という質問です。
それは、自分の力ではなく、周りの力、多くの人が支えてくれ、
信じてくれたことが大きかったと思っています。
医師から「一生車いすの生活」と言われていた私が、リハビリを頑張れたのは、
そのきっかけを与えてくれた人たちがいたからです。
その人たちをドリームメーカーと呼んでいます。
次の4つにまとめられます。
1、やる気、元気、勇気をくれる「パワーチャージャー」
2、最後まで一緒に生きてくれる「リスクテイカー」
3、失敗を許してくれ心がほっとする「ほっとマン」
4、こんな人になりたいと憧れる「モデル」
皆さんの周りにいるでしょうか?
逆にあなたはそんな人になれていますか?
私が大怪我をして、死んだ方がましと思っていた時期、ドリームメーカーが現れました。
まず、一人目は病院の看護師さんです。
病室で彼女に「腰塚さん、眠れてないよね。睡眠剤持ってこようか?」と聞かれたとき、
私がその言葉にカチンときて心の中で
『お前なんかに何がわかる。お前もこうなってみろ』と思っていると、
それを察した彼女は
「ごめんね。私、腰塚さんのこと何も考えずに自分の思ったことだけ言っちゃったね。
でも、お願いだから何でも話してほしい。元気になってほしい」と涙ながらに言うのです。
彼女が病室から去った後、私は一晩中泣きました。
本当は助けてほしいと言いたかったのです。
中学の管理職の先生たちも入院先の長野に来てくれ、
もう現場には戻れないと諦めていた私に
「3年の担任を任せる」
「卒業式で、生徒たちに卒業証書を読んであげることがたったひとつの仕事でもいいから」
と言ってくれました。
私はこんな大人がいるのかと驚きました。
いつも最後まで話を聞いてくれたリハビリの先生や、
ずっとそばにいると言ってくれた私の妻、
それに一生面倒を見る覚悟をしてくれていた私の両親も、
私にとってのドリームメーカーでした。