2013年5月18日放送 バイマーヤンジンさん(第1838回)
会場 | 沼津市民文化センター |
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講師 | チベット声楽家 バイマーヤンジン |
講師紹介 | チベット・アムド地方出身。 |
会場 | 沼津市民文化センター |
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講師 | チベット声楽家 バイマーヤンジン |
講師紹介 | チベット・アムド地方出身。 |
私が日本に来たのは18年前です。
この間ずっと描いてきたのが、
日本の義理の母を私のふるさとであるチベットに連れて行くことでした。
中国の音楽大学で主人と出会って結婚し、
日本に来て生活してみると、やはり考えや習慣の違いを痛感し、
説明してもなかなか理解してもらえませんでした。
百聞は一見にしかずということで、
義母を私の田舎に連れて行きたいと思っていましたが、
何度か行ったことのある夫は大反対です。
私の故郷は標高4000メートルの高地で、
風呂もなく、トイレは広い敷地の端っこにあります。
彼は行くたびに高山病にかかり、
苦しんでいるので「誘うな!」と言っていました。
義母も、乗り気ではありません。
しかし、毎年学校建設のためにチベットに帰っている間、
義母を一人日本においていくのも気がかりでした。
私は義母に「私が守るから大丈夫、不安ならお姉さんも一緒に来てもらう」と、
主人の姉も説得し、ついに義母もその気になってくれました。
チベットに連絡すると私の家族は皆大喜びで、
兄弟7人が力をあわせて家をリフォームし、迎える準備をしてくれました。
日本から飛行機を2回乗り継いで、さらに舗装されていない道を車で15時間かけ、
ようやく到着すると、義母と夫と義姉は疲れてしまい、
車から降りてくることが出来ませんでした。
特に義母は体調が悪く、3日たっても良くならないので病院に連れて行き、
点滴を打ってもらいました。
その病院で義母が夜中に私に向かって
「ありがとう、私はここで最後を迎えてもいい」と、
家にある通帳や金庫の鍵の置き場所などを告げようとするのです。
私はそれで、事態の深刻さを知り、義母を日本に帰すことを決めました。
翌朝、主人がそのことを知り、「だから言っただろう」と私を責めると、
義母は「この子を責めてはダメ、私が決めたことだ」とかばってくれました。
平地に着くとすぐに大きな病院に行き、義母を背負って色々な階の色々な科を回りました。
母は私の背中をたたきながら、「ありがとう、ありがとう」を繰り返しました。
その後義母と義姉を送ってから一旦父の法事を済ませ、
再び日本に戻ったとき、私と義母は初めて抱き合っていました。
「辛い思いをさせごめんね」という私に
「あなたの家族に会えたし、あんな厳しい中で皆が頑張っているのを見て、
戦後の日本を思い出して布団の中で泣いていたよ」と話してくれました。
血はつながっていなくても強い絆は生まれることを知りました。