2017年1月29日放送 橋幸夫さん(第2018回)
会場 | 静岡流通会館(静岡市) |
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講師 | 歌手 橋幸夫 |
講師紹介 | 1943年東京都生まれ。 |
会場 | 静岡流通会館(静岡市) |
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講師 | 歌手 橋幸夫 |
講師紹介 | 1943年東京都生まれ。 |
17歳の時から芸能界に入り、57年間歌の道を走り続けてきました。
同期や先輩も沢山いましたが、今では後輩の方が多くなってしまいました。
若くして大人の世界に入ってしまったので、
青春時代というものを経験していません。
とにかく芸一筋でした。
1960年にデビューしてずっと、
芸能界を通して日本という国を見ながら生きてきました。
デビュー当時は家にテレビもない時代、
街頭テレビを皆で見ている時代でした。
そして見終わるとふたを閉めて鍵もかけました。
そんなテレビも今ではパソコンの中で見られるようになり、
デジタルの時代がやってきました。
アナログの時代のレコーディングは、
何十人という人が一堂に集まって「同録」という作業をしていました。
広いレコーディング室にはオーケストラが入り、
本番の始まりを知らせるブザーが鳴り、
指揮者がタクトを振りおろすと一斉に始まります。
私は別室のマイクの前で歌います。
それはとても緊張する瞬間でした。
オーケストラの中の一人でも音を間違えればその場でストップ、
もちろん私が間違えても同じです。
ファックスもコピー機もない時代、
デビュー曲「潮来笠」の音符は
私の恩師である吉田正先生が曲をつけてくれましたが、
その譜面と言えば、奥様の手書きでした。
全部で4枚書き、作曲家と作詞家、
それに私とディレクターにそれぞれ渡してくださいました。
それはとてもきれいな譜面でした。
譜面を渡されるのもレッスンをするのも先生の自宅でした。
潮来笠がヒットしてその後も何回となくレコーディングをしましたが、
そのたびに吉田先生の自宅に行きました。
私も先生も忙しかったので、いつもレッスンは一度だけ。
しかもすべての仕事を終えて、
夜中の12時半からというのもざらでした。
そしてレッスンの4日後にはもうレコーディングをしていました。
これまでにシングルが180曲、カップリングの曲があるので360曲、
アルバムも入れると500曲もの曲を出したことになります。
よく、全部覚えていますかと聞かれますが覚えているわけがありません。
私ももうすぐ74歳になります。
57年も歌手をやって来て、私を今日初めて見たと言う方も多いでしょう。
人生とは不思議な出会いが多いと感じます。
歌の道は誰かに譲ることは出来ません。
それだけに、1度だけの人生の大切さを感じながら生きて行こうと思っています。。