2017年2月 5日放送 小島慶子さん(第2019回)
会場 | 御殿場市市民交流センターふじざくら(御殿場市) |
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講師 | タレント・エッセイスト 小島慶子 |
講師紹介 | 1972年オーストラリア生まれ。1995年TBSに |
会場 | 御殿場市市民交流センターふじざくら(御殿場市) |
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講師 | タレント・エッセイスト 小島慶子 |
講師紹介 | 1972年オーストラリア生まれ。1995年TBSに |
2010年にTBSを退社して6年、
タレント、エッセイストとして活動してきました。
私の入社したころはまだ女の子は3年くらい働いて、
適当に彼氏を見つけて結婚退社というパターンが普通とされていました。
しかし私はどうしても経済的に自立したいと思っていました。
たまたま親との折り合いが悪かったり、恋人に振られたりして、
第3者に寄り掛かれなくなったときのことを考えると、
自分に経済力をつけることが一番だと考えていたからです。
大学では成績にムラがあったので、
普通の企業への就職は難しかったのですが、
マスコミなら成績はあまり関係なく、
特にテレビでは女子アナブームとかで、
もし入れたら、20代の女子のピーク(と思っていた)をちやほやされて、
男性と同じ給料をもらい、過ごせたら楽しいななどと、甘い考えで受験しました。
放送局は世間一般から見れば確かに待遇面ではよかったのですが、
やはり滅私奉公のような男性中心の世界でした。
世にいう"女子アナ"と呼ばれて人気者になって、
それはそれで得なことだったのかも知れませんが、
でも女の子は男性社会の中の華として
いつも可愛くしていなさいという役割を与えられているようでした。
私はそういうことがうまくできず、苦しみました。
待遇では対等でも、
制度とは別のところに越えられない壁があるのだと感じました。
そしてこう思いました
「君が、女としての役割をわかっているなら男社会に入れてあげてもいいよ」
ということなのかと。
だとしたら、それは誇れないと思いました。
私は男女の差などに関係なく、ただ私として働きたいと思っていただけです。
私は、対等とはなんだろうと考えました。
制度はもちろんですが、
コミュニケーションや価値観の部分で性差がないことです。
それは男性にも言えることです。
それに気づいたのは、結婚して子どもが生まれ、共働きになった時です。
子どもが熱を出し、
幼稚園の迎えのために会社を早退することになった夫は
「カミさんの尻に敷かれている」とか
「やる気がない」という周囲の目にさらされました。
「男なのに」という目です。それはとてもしんどかったと思います。
2000年代に入り、不景気の時代が到来、大企業も倒産し、
安心な社会が約束されなくなった今、
専業主婦であろうが子どもを産んで仕事を続けようが、
どちらが正解でもない。
どんな生き方でもいいのだと言える社会を作ることが大事だと思います。
40代に入ったある日、私の夫は「仕事を辞める」と私に言いました。