2017年7月23日放送 和合亮一、玄侑宗久、柳美里さん(第2042回)
会場 | 飯舘村交流センター(福島県) |
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講師 | 和合亮一、玄侑宗久、柳美里 |
講師紹介 | ■和合亮一(詩人) ■玄侑宗久(僧侶・作家) ■柳美里(作家) |
会場 | 飯舘村交流センター(福島県) |
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講師 | 和合亮一、玄侑宗久、柳美里 |
講師紹介 | ■和合亮一(詩人) ■玄侑宗久(僧侶・作家) ■柳美里(作家) |
福島県在住の三人の文化人に
発生から6年を経た東日本大震災について伺いました。
玄侑 ―
もともと人は、
それぞれの生き方を持っているという大原則がありますが、
ああいった大きな災害が起こると
人どころか村や町が一括りに「地域」として扱われます。
そこには人それぞれという考えが全くありません。
それが6年経ったことで
「人はやっぱりそれぞれの生き方があるんだ」
という思いが戻ってきたと感じます。
環境・世代そして放射能についても、
一括りにして考えられてきた時期があったと思うのですが、
その部分を冷静に見られるようになってきたと思います。
柳 ―
私は2012年から南相馬の臨時災害放送局で
ラジオ番組を始めました。
今も続いていますが、五百人ほどの地元の人の声を聞いてきました。
その中で思うのは、玄侑さんのお話と重なりますが、
南相馬に住んでいる人々の生活は一人一人違うのに
「福島」や「南相馬」という言葉で一括りにされているという事です。
原発事故後、一括りで物事を考えようとする力に抵抗するには、
一人一人のお話を聞いて、
この地で丁寧に暮らしを営む事が大切だと感じています。
和合――
震災発生により一括りで考えられていた「福島」。
6年を経て、一括りではなく今後それぞれの生活へ進むには、
そして子どもたちに見せたい自分たちの後ろ姿は
どうあるべきなのか、考えてみましょう。