2018年8月26日放送 ダニエル・カールさん(第2094回)
会場 | 聖隷クリストファー中・高等学校(浜松市) |
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講師 | 山形弁研究家・タレント ダニエル・カール |
講師紹介 | 1960年アメリカ生まれ。高校時代、奈良に1年間留学。 |
会場 | 聖隷クリストファー中・高等学校(浜松市) |
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講師 | 山形弁研究家・タレント ダニエル・カール |
講師紹介 | 1960年アメリカ生まれ。高校時代、奈良に1年間留学。 |
私の初恋は小学二年生の時、
相手は黒い髪の毛がとても綺麗な日系アメリカ人でした。
一方的に想いを寄せる叶わぬ恋でしたが、
「日本」という国に興味を持つ最初のきっかけとなりました。
そして時は過ぎ十五歳の頃、アメリカのテレビで日本からの生中継がありました。
今では当たり前となった世界中からの生中継ですが、
四十年以上も前の事なので当時の私にとってとても印象深い出来事でした。
生中継の内容はアメリカ人力士の高見山関が大相撲で優勝し、
その表彰式の模様を伝えるというものでした。
高見山関はちょんまげ頭にまわし姿、表彰をする人は羽織袴。
その横にいる行司の格好もとても珍しく見えました。
この生中継を見てから「実際に日本に行き、どんな国なのか知りたい!」と思いました。
私はすぐに行動しました。
運良く交換留学生に選ばれ、十七歳の時初めて日本に来ました。
空港に着くや否や実際の日本人がどんな格好をしているのか見渡しました。
でもどこにもちょんまげをしている人などいません。
着物を着ている人もおばあさんが数人だけ。
アメリカにいる時に抱いていた日本のイメージと
実際の日本はまるで別物でカルチャーショックを受けました。
初来日から一年間、私は奈良県に住んでいました。
それも奈良県の南の方の田舎でした。
当時、私と一緒に交換留学生として日本に来たのは三十人でした。
三十人のうち半分は東京や大阪などの大都会に、
私を含めた残り半分は田舎に留学していました。
当時一緒に来日した留学生がその後も
日本との縁が続いていたかどうか調査したところ、面白い事がわかりました。
大都会に留学した人は一年で十分だと感じ、
それ以降日本との繋がりをあまり持とうとしなかったのです。
一方、田舎に留学した人はその後も文通したり、
仕事や遊びで来日するなど何らかの形で日本との関係を持ち続けていました。
この調査結果に日本人が海外留学する時にどうしたら良いのかというヒントが隠されています。
今日は私の経験を元に、留学についての考え方やポイントをお話します。