2011年9月24日放送 山元加津子さん(第1756回)
会場 | 常葉学園(静岡市) |
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講師 | 作家・エッセイスト 山元加津子 |
講師紹介 | 1957年、金沢市生まれ。 |
番組で紹介した本 | ありがとうの花 |
会場 | 常葉学園(静岡市) |
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講師 | 作家・エッセイスト 山元加津子 |
講師紹介 | 1957年、金沢市生まれ。 |
番組で紹介した本 | ありがとうの花 |
私はおっちょこちょいで方向音痴なので、
講演会に出かけるにも、多くの人に助けてもらっています。
その一人だった同僚の宮田俊也さん(通称宮ぷー)が、2009年に脳幹出血で倒れました。
どんな重篤な病気かを私は知らなかったのですが、
医者は、「3日の命。命をとりとめても一生、植物状態です」と言いました。
でも、私はそのとき、何の根拠もなく、「大丈夫です」と言っていました。
医者は「僕の言っていることが分かりますか」と、私のことを心配してくださいました。
なにしろ、宮ぷーの瞳孔は開いたままで、汗もかけないので、体温は40度もあったのです。
私は学校の子どもたちがいつもどんなふうにすれば元気になるか考えました。
思いついたのは、「あなたのことが大好き」と言って抱きしめることでした。
私は宮ぷーの体の管の間から手を突っ込んで、「生きて!大好き!」と言い続けました。
祈り、話し、体をさすりました。
すると8日目に目が開きましたが、
「植物状態の人は昼間目を開いて、夜は閉じていることが多いのですよ」と医者に言われました。
私は「そんなことはない」と思って、開いた目に映るように、自分の顔を近づけたり、
日記を書いて宮ぷーに読み続けました。
半年が過ぎたころ、首が少し動くようになりました。
そこで私と宮ぷーは、首の動きで「はい」と「いいえ」を判別し、
あかさたなの表で文字をつないで言葉を作りました。
初めて宮ぷーが伝えてくれたのは「こわい、たすけて」でした。
その後、一般にはよく知られていませんが、意思伝達装置という機械を持ち込むと、
宮ぷーが次のような言葉を打ちました。
「まんげつをきれいとぼくはいえるぞ」病室の窓に映った満月を見て宮ぷーは泣いていました。
身体の不自由な方に接するとき、
私は「体が痛くないか」とか「トイレは?」など体のことばかりに気を取られていました。
誰でも思いはもっと深いところにあり、きれいなものをきれいと、
さびしいときにさびしいと言うのが人間なんだと、宮ぷーが教えてくれたのです。
あきらめなければ伝える方法は必ず見つかる。
宮ぷーが倒れた意味もきっとそこにあると思うのです。